ル・マン クラシックに初めて参戦した日本人ドライバーにインタビュー

程度の差こそあれ、誰もが自動車に興味をもって当たり前。それが昭和世代の男である。だが車好きとはいえ、大学生のときから世界各国のモータースポーツを、自身の目で実際に観戦してきた人間はそう多くはない。ここに紹介する鈴木英昭さんは、まさにそんな人物である。
 
現在鈴木さんは東京練馬で、主にとびっきりのイタリア車を扱う「CORGY’S 」という販売店を経営している。そのホームページの紹介には"腹に響くエンジンの炸裂音、ピットで奮闘するクルー、そして最高のドライビングテクニックを目の当たりにし、以来レーシングカーの虜に。美しいクルマとモータースポーツ。それが生涯の情熱です"と記されている。


 
鈴木さんは大学卒業後に商社勤務を経て、1995年に実家が経営するテーエス商会に入社。営業および仕入購買業務全般をこなすかたわら、世界各国のクラッシックカーのディーラーやコレクターと交流を深めていき、2002年にCORGY’S を自ら設立した。父が仕事でフォード車に携わっていた関係で、幼少のころからひと一倍自動車には興味をもっていた。ただし、日本ではまだ輸入車という存在がそれほど広まってはいなかった時代である。それでも学生のころからアウトビアンキA112アバルトなど、小粋なコンパクトハッチを好んで乗っていた。同時期のダイハツ・シャレードにデ・トマゾというターボ仕様があったが、乗り比べたらノンターボのアウトビアンキの方が速かったという。「イタ車の小排気量はバカにできないっていう体験が、私の原点かもしれないですね」
 
鈴木さんには師匠と仰いでいる人物がいる。クラシックカー業界では誰もが知るミニマルヤマの丸山和夫氏である。残念ながら新卒で入った会社では刺激がそう多くはなかった。家業がミニクーパーのパーツ輸入からスタートをしている関係で、当然丸山氏との接点があり、そこで真のカーガイとの邂逅に鈴木さんは感動を覚える。メールはもちろんファックスもめずらしかった時代から、テレックスで連絡を取っては海外に自身で出向いていた丸山氏。その当時から、日本ではまず見ることができないヨーロッパの本物のレーシングカーばかりに、丸山氏が着目をしていたからだ。

「自分でも"無味無臭な生活"と口にしていたほど、サラリーマン時代は仕事をつまらないものと決めつけていて、周りには車好きがまったくいないと落胆していました。でも丸山さんに出会って開眼したとでもいうか、人生経験としては大先輩にあたりますし、自動車好きということでは、まるで生き字引みたいな方です。まだ実家に戻ったばかりで何をやっていいかわからない中で、"こんなことをやってみたら?"と、いろいろとアドバイスをくださったのが丸山さんでした」 

丸山氏との出会いこそが鈴木さんに生き甲斐をもたらした。丸山氏から学んだ最も大きなポイントとして、"本物を大事にすること"があるという。元はレーシングフェラーリが好きだった丸山氏。"このレーシングモデルの実物が欲しい!"と一度心に決めたら、その情熱を永く持ち続け、熱量を失わせることなく、いずれ必ず手に入れてきた。車好きとして、その気概に満ちた丸山氏の仕事ぶりに、鈴木さんは畏敬の念を覚えたという。

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