30年以上眠ったままだった? 女性教師が愛していたアルファロメオ

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戦後に登場したアルファロメオのモデルは、それからのイタリアの自動車メーカー、スポーツカーに影響を与える革新を導入していた。1950年のパリ・モーターショーでデビューした1900ベルリーナは、ユニットボディの構造や、アルミニウム製のヘミヘッドを合わせた直列4気筒エンジンなど技術的な進歩を特徴としていた。

アルファロメオは1951年に新しい1900モデル、1900Cを発表した。"C"はコルト(ショート)の意味で、改良されたシャシーは130mm短縮され、カスタムのボディワークを受け入れるように設計された。モデルの生産工程全体を通じて、ベルトーネ、ギア、ツーリング、ザガートなどの著名な車体製造業者によって、驚くほどバラエティに富んだ1900のボディが製造された。

H.J.Döhrenの著書『Millenove』によると、ピニンファリーナは1900Cのプラットフォームで88台のカブリオレと100台のクーペを製造した。典型的なピニンファリーナのスタイルらしい、エレガントなライン、魅力的なプロポーション、細かなディテールを備えている。

そして、ここで紹介する1900C、シャシーNo.01063は、注目に値する発見である。ニューハンプシャーのガレージで約30年間眠ったままだった。このカブリオレのファーストオーナーは、ドイツのダルムシュタットにある第7避難病院に駐屯している米陸軍サージェントのリロイ・ベルジュニアであった。1964年9月、彼はアルファロメオを基地のアメリカ小学校で働いていた女性教師 バーバラ・ウルビエロニスに売却した。記録によると、彼女が購入した時点で、カブリオレは青く塗られており、すでに90,000km近くの走行距離を刻んでいた。





1966年にバーバラは、ニューハンプシャーに帰国しているが、ピニンファリーナ・カブリオレも持っていった。アルファロメオは1983年までドライブに使用されていたものの、それ以来自宅のガレージに駐車されたままだった。月日が過ぎ、車のボディはすっかり塗装が剥がれ錆びてしまっている。



現在、レストアされていない1900Cは、走行距離計で98,615kmを示している。フルレストアには多大な時間と費用が必要となるであろうが、オリジナルエンジンも含めパーツはほとんど残さている。ドイツのナンバープレートとニューハンプシャーのプレートを保持しており、そのヒストリーを物語る存在である。再び綺麗に生まれ変われば、コンクールでも存在感溢れる一台になるだろう。

オクタン編集部

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