「自分の城を建てたい」 夢をまたひとつ実現させた│ナカムラエンジニアリング物語第3章

ファクトリーがフェラーリの赤に染まり始めたナカムラエンジニアリングは、さらなる高みを目指すべく"フェラーリに相応しい"施設の建設に着手する。第3章では、美しい新社屋が完成するまでの道のりを綴っていこう。

フェラーリだけのファクトリーにしたい。ナカムラの"野望"は徐々に実現しつつあった。独立して7年くらいが経った頃になると、それまでの苦労の甲斐もあって、入庫する車のほとんどがフェラーリになっていたのだ。
 
けれども赤い車が入庫するたびにナカムラはある想いを強めることになる。それは受け入れる側、つまりナカムラエンジニアリングの工場そのものがフェラーリを迎えるような立派な施設ではない、という想いだった。

新社屋が完成した頃の中村一彦氏。自信たっぷりの笑顔からはフェラーリに対する思いの強さと情熱が伝わってくるようだ。この頃はフェラーリのウェアを好んで着用した。
 
築60年の鉄骨工場を使い続けていた。オフィスは四畳半でソファが大部分を占め、タバコを吹かせばあっという間に真っ白になるほどの窮屈さだ。とてもじゃないが、フェラーリの客を迎えて談笑するような場所ではなかった。
 
床のコンクリートは所々めくれていて、毎日終業時に2時間の清掃が欠かせなかった。自分たちでグレーの床塗装を施したりもした。汚れた床の上に客から預かった大切な車を置きたくなかったからだ。日本の自動車工場といえばオイルを含んだ埃が堆積して独特の臭いを放っていることが多い。ナカムラはそういう工場が昔から大嫌いだった。預かったフェラーリに万が一のことがあってはいけないと、自分も工場に寝泊りしていた。一角をパーテーションで区切って生活していたのだ。

パーツやグッズのコレクションもいつしか膨大な数になっていた。のちにその大半を処分するが、今でも貴重なパーツがナカムラエンジニアリングの倉庫には眠っているらしい。

 
そんな状況をなんとかしたい。いつしかナカムラは、家族が快適に過ごせる家と立派な門構えで床まで美しい工場が一体となった自分の城を建てたいと真剣に考えるようになっていく。
 
雑誌で見る海外のファクトリーはどこも美しかった。有名な工場ほど床はピカピカで、タイル張りやウッド張りが多かった。実際にナカムラは工場の中に住んでいたわけだけれど、本当は家のリビングのように過ごせる工場を作りたいと思っていたのだ。
 

文:西川 淳 写真:ナカムラエンジニアリング Words:Jun NISHIKAWA Images:NAKAMURA ENGINEERING

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