【知られざる物語】 ピーター・セラーズと彼が愛したアストンマーティンDB4 GT

Photography: Alex Tapley



0157/Rのエンジンだけが撮影における故障の被害者ではなかった。わずか4秒間の映画の冒頭シーンは、橋の上を飛び越えるものである。消息は不明なDB4がこのシーンの代役を務めた。この車はスタントでフロントサスペンションとサンプが上手く機能しなかったとレポートされている。となると、なぜあれほどの高さを跳ばせようとしたのかと読者のあなたは不思議に思うことだろう。

セラーズは作中でも0157/Rを運転した。しかし、高速運転のほとんどはギャングメンバーのエキストラとしても登場したケン・ラッドがステアリングを握っていた。彼は、当時ワージングでアストンマーティン最大のディーラーであったKNラッドLtd.を経営していたのだ。1961年3月1日に、内装は黒、外装がデュボネで仕上げられた0157/Rが納品された。アストンマーティンの記録によると、試乗車として使用されていたようだ。

ピーター・セラーズは、1961年後半または1962年初頭に、エキゾチックカーのコレクションに追加するためこのDB4 GTを購入した。リチャード・ウィリアムズはアストンマーティンの名を冠し、レストアビジネスもしていたが、フェルサムにあったアストンマーティン工場では新人であった。セラーズはDB4とGTでウェルサムの工場を定期的に訪れていたようだ。その後、セラーズはDB5 コンバーチブルとDB6も手に入れた。

セラーズはウィリアムズと友情を築き、フェルサムのサービス部門がニューポート・パグネルへの移転の準備ができつつあった1964年に彼を雇った。また、セラーズは自宅のガレージのひとつに彼が住むためのためのアパートを建てた。ウィリアムズは初めはロンドンで、後にジュネーヴでセラーズの車に関する仕事をした。彼はGTについて、特にこの車の当時の売れ行きをよく覚えている。 



「ピーターはある日私に電話をかけてきて、『アストンを引き取って、どこかで売ってくれないか』と言ったんだ」。これにはウィリアムズも驚いた。「でも、君はそのアストンをとても気に入っているだろう」と彼がセラーズに言うと、返答はこうであった。「ディック、車は女性のようなものなんだ。最後には離れていって、僕をがっかりさせるんだ」 

1961年から1969年までの間、セラーのPAを務めたハッティ・プラウドフットは2018年のインタビューで、当時セラーズが不安を抱えていたことを明らかにした。「その車を覚えているわ」と彼女は語った。「でも、ただ見覚えがあるだけなの。彼はとてもたくさんの車を持っていたから。ただ、彼が映画について腹を立てたことをよく覚えているわ。彼はライオネル・ジェフリーズに人気者の座を取られると感じていたのよ」

この映画は1963年3月13日に公開された。41 DPXのシーンは、車に見える納税済証票が示すように、おそらく1962年6月より前に撮影されたものだった。デンハム飛行場での最後のシーンを除いて、主にアクスブリッジで撮影されたようだ。我々のミッションは、具体的にそれがどこなのかを見つけることである。

映画で確認できる2つの通りの名前は、ミッションの助けになりそうだ。グーグルアースとストリートビューを駆使し、他のカーチェイスの撮影地と有名な橋を見つけていこう。ほとんどの建物はなくなっておらず、まったく変わっていないことも多いため、非常に助かった。


このDB4 GTで最初に立ち寄る地点は・・・次回へ続く

Words:Stephen Archer 訳:オクタン編集部 Photography: Alex Tapley

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