「怪物」と呼ばれたフェラーリ!コンセプトではなくちゃんと走る ?!

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ドイツ・ベルリン出身の工業デザイナーである、ルイジ・コラーニは曲線を効果的に使用した奇抜なデザインの車を残したことでも知られる。

コラーニは、1928年にベルリンで生まれ、幼い頃からデザインに魅了された。1946年にベルリン芸術アカデミーで彫刻と絵画を学んだ後、1​​948年に空気力学の学位を取得するためにフランスのソルボンヌに移った。彼の幅広いレパートリーの中には、航空機、コンピューター、キャノンカメラ、レーシングセーリング船、家具、オートバイ、テレビ、ティーポット、セミトラック、カトラリーなど多種多様なものがあった。

彼が生み出すアイテムは、「丸みを帯びた有機的な形状であること」というひとつの共通するスタイルがあった。自然界からインスピレーションを得て、機械的ではないデザインを独自の哲学として生み出したのである。そして彼は、この哲学を自動車デザインに応用することがデザインの発展につながると解釈し、1970年代のオイルショックを機に独創的な数々の車を造りだしていった。

奇妙なかたちの車を作っていた傍らで、彼はスピードへの情熱も持っていた。コラーニはエンジニアというよりは空気力学者だったため、改造した車の速度を上げるための技術パートナーを必要としていた。彼は、フェルディナンド・ピエッツのロテックで必要としている技術を見出した。



コラーニはボンネビル・スピードウィークでスピード記録を狙うことを決意し、ピエッツと共にフェラーリ・テスタロッサを"テスタ ドーロ"(またはゴールドヘッド)と名付けカスタムを加えてレースに参加させた。車が完成したのは1989年で、実際にレースに参加したのは1991年である。丸みを帯び、長くなったノーズとテール、そしてロテックによるフラット12ツインターボチャージャーエンジンを備えたテスタドーロは、実際にボンネビルで211mphを記録しクラス優勝を果たす。その翌年にも記録を更新している。



しかし、その後テスタ ドーロはワークショップに戻され、挑戦的な見た目にするためのカスタムが施された。コラーニは記録を更新したものの、車が不十分だと感じていたのだそう。そして誕生したのが、この"怪物"と呼ばれるテスタ ドーロの姿である。ライト周辺にはテスタロッサである要素がわずかに感じられるが、ほとんど原型をとどめていない。この形で、パワーは変わらずであったテスタ ドーロは、純粋なデザインステートメントとして世界に衝撃を与えた。巨大なフロントガラス、ワイルドなフロントスプリッター、低く印象的なシルエットは、どこに展示しても大ヒットしたという。



最終的には、マラネロのフェラーリ・スペシャリストのもとへ渡り、2015年に170万ドルで売りに出された。その年、非公開の価格で新たなオーナーの元へ売却されている。

オクタン編集部

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