「輸送の未来は1人乗りの車にある」ひとりの男の信念を具現化した車

RM Sotheby's

この珍しい車は、"輸送の未来は1人乗りの車にある"という一人の男の信念が具現化したものだった。カール・ジュリッシュは才能のあるエンジニアで有名なオートバイレーサーだったが、何よりも情熱的な理想主義者であった。

彼が23歳のとき、すでに驚くべき技術的を用いた画期的なモーターを設計していた。コンパクトな4ピストン、2ストローク、水冷式の過給ユニットで、10年後にはDKWの作業に影響を与えている。1925年には、彼は伸縮式フォークとシャフトドライブを備えた350立方センチメートルの4ストロークモーターサイクルを自分で製造していた。

戦後数年間、彼は近所の人たちのトラックと修理店を手伝い、その後はサスペンションやブレーキハブ、無段ギアボックスの販売を行っていた。しかし、人々の移動が自動車になっていくにつれて、オートバイは衰退していく。ジュリッシュは、そのギャップを埋めるために小型の三輪車を生み出し、彼が愛する二輪車の要素を提供したのである。



ニュルンベルク付近の森にある彼の工場で、サイドカーをベースにこの三輪車を設計および製造した。フロントガラスとフロントサスペンションは、ハインケルカビーンのドライブトレインに接続されたメッサーシュミットだった。ユニークなステアリングは、シートの下で回転する2つの垂直ハンドルバーで構成されている。この三輪車は計3台が作られたが、このプロトタイプは低くてなめらかなキャノピーラインで、審美的に最も成功したものである。 2台目は背が高く、キャノピーとホイールも大きく、3台目はドライバーの後ろにボックスが付いた「商用」バージョンだった。

実際の販売は予定されておらず、プロトタイプは、テールフィンブームの真っ只中にあるニューヨーク市のディーラーへ輸出された。シャシー#101のプロトタイプは、70年代にマイクロカーコレクターのヴィク・ハイドによって発見されるまでフロリダのディーラーにあり、すっかり劣化していたそうだ。



90年代にカナダでレストアされてから、多くのイベントで登場していた。こうして車の知名度が上がっていくうちに、ジュリッシュの名とかつての工場が知られるようになった。かつての工場は、現在段ボール箱を製造する場となっているが、現工場オーナーは1973年に不動産を購入したときに証書に「ジュリッシュ」という名前を見たことを覚えているという。

このかわいらしい一台は数年前に開催されたオークションで、およそ1000万円で落札されている。実用性はさておき、世界に一台しかない希少価値と、ジュリッシュの想いを引き継ぎたいという願いがこの価格を生み出したのでろう。

オクタン編集部

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