「今も忘れられない」コンピューター上で設計された世界初の自動車

Photography:Mercedes-Benz and Steffen Jahn



C111はすべてコンピューター上で設計された世界初の自動車だった。エンジニアたちはESEM(elasto static element method)という、実際に車を製作することなく動的荷重の計算を可能にするデジタル技術を活用し、およそ4ヵ月開発期間を短縮することができたという。メルセデスはこれをたいへん誇らしく思っていたらしく、「Das Auto,das aus dem Computer kam」(コンピューターから生まれた車)という題名をつけたドキュメンタリー映画を制作し、発表会で披露したほどだ。
 
矢のようなボディの下のサスペンションは、アンチダイブとアンチスクォット・ジオメトリーを特徴としており、フロントのサスペンション形式はほどなくメルセデス全モデルの定番となり、またリアサスペンションの形式は現在のマルチリンクサスペンションに受け継がれている。メルセデス・ベンツがそのパワーを持て余すスポーツカーを作るとは誰も思わないだろう。ジュネーヴ・ショーで観衆の注目を集めるいっぽうで、そこからほど近いフランス側のモントゥー・サーキットでC111-Ⅱの第1号車は、プレス関係者の試乗車として提供された。そこでレーシングドライバーからジャーナリストに転身したポール・フレールがどのように評価したかは後述する。


 
裕福なスポーツカーファンは大いに興味をそそられた。その後の数カ月間に金額が書き込まれていない小切手がシュトゥットガルトに届き始めたものの、メルセデス・ベンツはあくまで研究開発用プロトタイプであり、市販車ではないことを明言しなければならなかった。実際、1963年の時点でヴァンケル・エンジンをパゴダルーフのSLの下に位置する「コンパクトで手頃な価格のスポーツカー」に搭載するという企画が検討されており、このプランは1968年にはラリーにも適した「コンパクトなスポーティカー」で若いユーザー層を狙うという計画に進化していた。そして登場したC111-Ⅱはたちまち、あの300SLガルウィングの後継モデルを待ち望んでいたすべての人々の熱い注目を集めたのである。
 
合計で14台製作されたうちの3台のプロトタイプは途中で解体され、1台はテスト中にクラッシュ、残る10台は現在に至るまで生き延びている。しかしながら、あの当時導入されたエミッション規制と1973年の石油危機のあおりを受けて、C111は手の届かない場所にしまい込まれてしまったのである。


1970年にはどう評価された・・・?後編へ続く

編集翻訳:高平高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words:Glen Waddington Photography:Mercedes-Benz and Steffen Jahn

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