フォード・マスタングを自分好みに特注!世界に一台の「ザガート・エラボラツィオーネ」

Photography:Max Serra


 
1960年代後半、イタリア産のスポーツカーの選択肢は豊富だった。ブランド、ハードウェア、そして多くのカロッツェリアが健在だったのでスタイリングの面でも自由度は高かった。それこそ自分好みの車にビスポーク(オーダーメイド)することもできた。振り返ってみれば、イソ・リヴォルタはイタリアン・スタイリングでアメリカンV8を搭載していたし、マスタングはアルファロメオ・ジュリエッタGTやデュエット・スパイダーなどと競合していた。また、価格面ではフェラーリが開発したエンジンを備えるフィアット・ディーノ、高級ブランドでの選択肢ではランチア・フラミニア・クーペやザガートが手掛けたボディの同車も狙えた。エキゾチックな選択肢としては、ジャガーEタイプはポルシェ911なども挙げられる。
 
カタログモデルとは異なるボディを架装することや、自動車メーカーがカロッツェリアに供給して独自のボディをまとったスポーツカーを購入することは、当時のイタリアではそこまでめずらしいことではなかった。"あの頃"のイタリア自動車産業は第二次大戦後、最も輝かしい時代のひとつであった。
 
しかし、マスタングのアメリカでの成功体験から、フォードは海外市場向けに、少数の特別仕様車を造ることなど考えなかった。ヨーロッパ向けに変更した点といえば法規制に適合するためにブレーキランプ、メーター類のマイル表示からキロメートル表示へ変更したくらいだった。もともと水温や油圧は計器ではなく、「L(ロー)」から「H(ハイ)」で表示されるのみだった。
 
カロッツェリアでマスタングのボディを造る、などということをフォードの経営陣は微塵にも思っていなかった。面白いもので、フォードは1973年にはイタリアのカロッツェリア・ギアとヴィニャーレを手中に収めているにもかかわらずだ。
 
イタリア・アブルッツォ州ペスカーラの名家に生まれ、自身も舗装業を営んでいたシルヴィオ・ブッコは、イタリアン・マスタングの実現に尽力した。ブッコが入手したマスタングはV8モデルのファストバックでウィンブルドンホワイトの外装色に、黒いビニール張りの内装、エアコン装備、4段MT だった。シャシーナンバーは"7T02A201813"で、1967年2月21日にフォードのニュージャージー州メアチェン工場からラインオフされたものだ。


 
ミラノ大学出身のブッコは複数の会社で要職に就いていた。1966年10月のトリノ・モーターショーに部下を出向かせ、フォード・マスタングを下見してくるよう命じた。部下が持ち帰ったカタログで仕様を決めた後、ブッコはフォードの正規輸入代理店にオーダーを入れた。この時すでにブッコの中では、カロッツェリアでマスタングにカスタマイズを施すことを考えていた。まず、トリノのピニンファリーナでの作業を考えていたのだが、当時のガーフレンドがテラッツァーノ・ディ・ローにあるザガートを紹介したことで、ミラノへと向かった。

この頃、ザガートは創業者、ウーゴの息子であるジャンニとエリオが経営しており、カスタマイズ需要やレースモデル製作で商売は繁盛していた。今日、伝説的な車両として認知されているアルファロメオTZが造られたのも、この時期だった。ザガートはトリノのライバルに比べると若々しいスタイリングとダイナミックさを誇っていた。1968年、当該マスタングは「ザガート・エラボラツィオーネ」のバッジをまとって、ブッコ好みのカスタマイズが施された。


具体的に施されたカスタムは?・・・後編へ続く

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Massimo Delbò  Photography:Max Serra

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