セレブの休日には欠かせない !? ビーチカー「ジョリー」が誕生するまで

Photography: Martyn Goddard



ほとんど知られていないが、ジョリーはビーチカーブームを作った先駆者ではなく、むしろ当時の流れに乗って作られた車である。ジョリーの詳細がまだ固まっていない頃にも、コーチビルドのレジャーカーというテーマはイタリアの自動車文化の中に長く存在していた。ジョリーが登場する前、スピアッジーナという言葉がイタリア語に浸透するまでの長い間ですら。ビーチを意味する『spiaggia』に由来し、英語で文字通り訳すとすれば『beachy(”ビーチの”の当て字)』、慣用句的には『ビーチカー』と訳せる。多くのセレブリティは現実からかけ離れ、我が家から望める綺麗な海を楽しむようになった。さて、ではなぜこうしたことが流行したのか?

フィアットの会長であり、まさにセレブリティの象徴ともいうべき、ジャンニ・アニエッリは、1950年代半ばに車業界発のこうしたトレンドを生み出した。それは、彼がフィアット600をベースにした特注のヨットを所有し、気晴らしに出かけるときはいつもそのヨットで海へ出たことがきっかけだ。



カロッツェリア・ギアは1957年製または、58年製(諸説あり)のフィアット600をベースとし、“ジョリー ”と名付け、彼のヨットに似たような乗り物を広めた。そして、すぐに次世代のチンクエチェントから作られたモデルも追加した。カロッツェリア・ギアは1960年代後半に完成させるまで、400台ものジョリーを製作し続け、次第にイタリア国外では、『ジョリー』と『ビーチカー』が同じ意味を持つようになる。


ジョリーを手に入れたがる層は限られるものの、市場での新たな選択肢を生み出す点で十分だった。ピニンファリーナとヴィニャーレを含むデザインハウスの多くは、スピアッジーナのコンバージョンを製作していた。1956年に発表されたフィアット・ムルティプラをベースとしたピニンファリーナの『エデンロック』はおそらく最も富裕層向けで、どうやら2台しか製造されなかったようだ。最初の1台は地中海にあるアニエッリの別荘用に製作され、2台目はELコードファミリーの別荘用車となった。しかしながら、実は3台目が存在し、ヘンリー・フォード2世のもとへ渡ったという噂もある。


否定的な意見もあったカスタム・・・後編へ続く

 

Words: Dale Drinnon 訳:オクタン編集部

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