皆の想いと共に走る 北京-パリ・モーターチャレンジに挑戦する日本人女性ドライバー

1907年、北京からパリを目指してスタートした5台の車。参加車はイターラ(イタリア)、スパイカー(オランダ)、コンタル(フランス)、2台のド・ディオン・ブートン(フランス)である。ルートは自由とされ、全車がリタイアするのではないかという大方の予想に反し、62日後、パリ凱旋門には5台中4台が到着するという結果を残した。優勝賞品は1本のシャンパンという、紳士のチャレンジともいうべきこの挑戦に勝利したのはイタリアの名門ボルゲーゼ家のシェピオーネ侯爵がドライブするイターラだった。
 
その壮大なラリーレイドが、90年後の1997年に「北京-パリ・モーターチャレンジ」(以下「北京-パリ」)として復活した。以後、回数を重ね2019年には第7回が、2022年には第8回が開催される。2022年の北京-パリは中国・北京を5月29日にスタートし、モンゴル、ロシア、カザフスタン、ジョージア、トルコ、ギリシャ、イタリア、スイスを経て7月3日にフランス・パリにゴールする。約1万4000km(8700マイル)を走破する36日間の冒険だ。そんな過酷なラリー参戦に向けて挑戦を始めた日本人女性がいる。

「こもちゃん」こと爰野さんがはじめてクラシックカーラリーに出会ったのはほんの5年ほど前のこと。"普通のOLだった"こもちゃんは、明治神宮でラ・フェスタ ミッレミリアのスタートシーンを観てクラシックカーラリーを知り興味を抱く。元来行動的で「人生は冒険だ」をモットーとする彼女は、その後本場イタリアのミッレミリアも観戦に行き、そこから一気にクラシックカーラリーの世界へ傾倒していく。当時は運転免許も持っていなかったにもかかわらず、だ。イタリアのミッレミリアに出場することを目標とした彼女は、日本国内でのラリーに参加して経験を積んでいく。



ラ・フェスタ ミッレミリアへの参加も見据えながら、実際にはじめて参加したのは岡山県で開催されているベッキオ・バンビーノだった。ところが初戦に臨む前からハプニングが発生。自走で岡山へ向かう途中で車両が故障してしまい、前夜祭への参加が危うい状況になる。そこで彼女はどうしたか。ともに参加するパートナーの新谷さんに車両の修理を託し、彼女自身はヒッチハイクで岡山まで向かい、前夜祭に駆け付けたのだ。翌日からのラリーには無事に参加することができ、多くの仲間にも恵まれたベッキオ・バンビーノは今でも心に刻まれている思い出のラリーのひとつだという。
 
その後、クラシックジャパンラリー、クラシックカーラリー沖縄、トロフェオ・タツィオ・ヌヴォラーリといった日本各地で開催される代表的なクラシックカーラリーにエントリーして実戦を重ね、海外の" 1day "ラリーやグラン・プレミオ・ヌヴォラーリなどにも積極的に参戦。2019年にはラ・フェスタ ミッレミリアにも参加、さらに2020年にはイタリアのミッレミリアへの出場も果たした。
 

文:湯淺央子(本誌) イラスト:あべ あつし Words:Chikako YUASA(Octane Japan) Illustration:Atsushi AVE 

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