「重要な車の管理者として私のベストを尽くす」歴史と想いを受け継ぐ車


 
1975年に購入以来これをずっと楽しんできたセカンドオーナーのロジャー・ファースによって保存されていた詳細なログブックから分かるように、一緒にいて楽しい車だ。ヒュー・ディクソン・カーは右足の障害のためラゴンダの操縦が困難になってきたと感じた1956年以降、1974年のクリスマスに他界するまで車を家のガレージに留め置いていた。ロジャーは車を入手したあと、できる限りのヒストリーをトレースすることに着手した。

幸運なことに、この車を診ていた地元の整備工場、グローバーズ・ガレージから1950年以降のサービスレコードや請求書をすべて回収することができた。ロジャーはまた整備工場のメカニックやヒュー・ディクソン・カーの甥とも話して記憶を集めた。もし、ロジャーが1970年代にこのような努力をしなかったら、すべての情報は失われていただろう。ヒュー・ディクソン・カーの故郷ヨークシャーでいうところの、「善は急げ」ということだ。


 
BYG7はロジャーが購入後、かなり手を入れる必要があったものの、間もなく路上に復帰できた。なにしろヒュー・ディクソン・カーの他界後、遺品からそれを救い出したガレージによれば「ただ動くだけだった」というのだから、たいへん大な作業だったに違いない。そしてロジャーは車が完成した1970年代半ば以降、クラブミーティングなどへの参加を含め、頻繁に車を使い続けた。彼の旅行記録で特筆すべきは車のトラブルがほとんどなかったことだ。起こったトラブルでもっとも大きなものといえば、ワイパーモーター内のグリスが硬化して動かなくなったことぐらいだ。
 
2020年の初め、ロジャー・ファースは"BYG7"を次の管理人に託すことを決心し、思いをまとめた。「BYG7を所有した45年間を通して、私はこのたいへん素晴らしく、重要な車の管理者として私のベストを尽くしたことを保証する。機械部分に関して最高のメンテナンスが施されているが、それは私が個人的な楽しみでおこなったものだ」
 
車に限らず、歴史的遺産を所有したものは、自分は遺産を次世代に引き継ぐまでの一時の「管理人」と考えるのが正しい。そう思えば、無茶な改造などはできないはずだ。83年に渡ってこの車を所有し、管理してきた二名のオーナー、ヒュー・ディクソン・カーとロジャー・ファース以上の管理チームを望むことは不可能だっただろう。次の管理人は多くを期待されるだろうが、しかしその名誉は努力に値する。

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words:Mark Dixson Photography:Jordan Bulters

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