重要な歴史!天才と呼ばれた人物が生み出したマイクロカー

RM Sotheby's

優れた技術者であり、20世紀初頭に独自の道を歩み、ヨーロッパ航空の誕生に大きく貢献した人物、ガブリエル・ヴォワザンはまさに天才だった。彼はその後、20年代から30年代にかけて、アールデコ調の奇抜なスタイリングで知られる最も精巧な自動車を製作したのである。

1907年には、自力で離陸できる実用的な飛行機を完成させ、ヴォワザン社は世界初の航空機の大量生産を実現した。第一次世界大戦が終わると、ヴォワザンの航空事業は中断され、電動自転車や軽快な2人乗りのエコノミーカーなどの実験を経て、格調の高さ、快適さ、速さで他の追随を許さない自動車の製造を決意したのであった。

ヴォワザンは1920年代を通じて、数々の記録的な競技用モデルを含む優れた自動車を作り続けたが、他の多くのメーカーと同様に、悲惨な経済状況の中で彼の自動車の販売は苦戦した。結局、ガブリエル・ヴォワザンは金融機関に経営権を奪われ、工場はエンジンメーカーのグノーム・エ・ローヌに売却されてしまった。しかし、ヴォワザンは自動車への関心を持ち続け、1938年にはデザインコンサルタント会社「L'Aéromécanique」を設立した。

1945年、フランス政府が航空エンジンメーカーを国有化し、SNECMA(Société Nationale d'Étude et de Construction de Moteurs d'Aviation)が設立されると、グノーム・エ・ローヌ社とヴォワザン社は新会社に吸収された。その後、グノーム・エ・ローヌは、ヴォワザン社の子会社となっている。



ガブリエル・ヴォワザンは、自分の名前を冠した会社との交流を続け、ノーム・エ・ローヌ社の125立方センチメートルの2ストローク モーターサイクルエンジンを搭載したマイクロカーの設計権を提供した。「ビスクーター」と名付けられた彼のミニマムなデザインには、彼の航空機製造の技術と知識がすべて盛り込まれていた。1949年の夏には約15台が製造されたが、SNECMAはこのプロジェクトには将来性がないと考えていた。1952年6月、ヴォワザンはバルセロナのオートナシオナル社にライセンスを売却し、同社はこの機体を「ビスキュター」と名付け、約12,000台を製造した。



オリジナルのプロトタイプのうち、2台はガブリエル・ヴォワザン自身の手に渡り、そのうちの1台が博物館に展示されている。ヴォワザンはこの車を友人に売却し、その後、1960年代に初期の自動車コレクターが手に入れた。そのコレクターは、このビスキュターをレストアせずに保管していたが、ガブリエル・ヴォワザン氏をはじめとする開発関係者に連絡を取り、多くの情報を提供するなど、このモデルの研究を重ねていたという。



ギアボックスは3段しかないが、興味深いことに、1930年代のヴォワザンの華麗な車に見られたデュアルレシオのトランスミッションも補助的に搭載されている。オリジナルのリベット留めされたアルミ製シートメタル、ソフトトップなど、オリジナリティに溢れている。スペアホイールもトランクに収納されており、ガブリエル・ヴォワザンの天才的な発想を感じさせるものだ。重要な歴史のひとつともいえるこの車は、マイクロカーのコレクターが大切に所有していたが、数年前にオークションに出品され、およそ700万円で落札されている。今もこのオリジナリティを保っているかは分からないが、見事にレストアされどこか街を走っているかもしれない。

オクタン日本版編集部

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