M.M.M. ミニ・ミニ・モールトン PART.1|サー・アレック・イシゴニス

Jack YAMAGUCHI


 
また、イシゴニスはモーターレーシングに熱中し、小型車オースティン・セヴン・アルスターを改造し、ヒルクライム、スピードトライアルなどに出場していた。イシゴニスは、1936年にモーリス社に移るが、ライバルのオースティン社は、彼の新構想レーシングカーのために、ワークス仕様の過給サイドバルブ・エンジンを供与した。1938年に完成したのが有名な"ライトウエイト・スペシャル"で、彼はアルミ表皮、ベニア板サンドイッチ構造ボデイを手叩きでつくり上げた。サスペンションはフロント・ウイッシュボーン、リア・スイングアクスルのフル独立式で、フロントに圧縮、リアに伸び作動ラバースプリングを用いた。リアは、艦載機カタパルト用織布補強ラバーバンドだったらしい。
 
第二次世界大戦前、アレック・イシゴニスが設計製作し、自らヒルクライム、スピードトライアルに出場した超軽量レーシングカー、"ライトウエイト・スペッシャル"。全輪独立サスペンションで、ラバースプリングを用いるが、アレックス・モールトンとの協力以前だ。ジョン・クーパーによると、戦後、ブライトン・スピード・トライアル(1マイル加速レース)で彼のF3クーパーと対決したという。(BMC )

あるレースで、リア・ラバースプリングの枚数を減らしたら、サスペンションがネガティヴ・キャンバーとなり、コーナリングスピードが飛躍的に上がった。イシゴニスのジオメトリー真理の発見であった。エンジンは、アルスターの750ccを移植した。車重わずかに267kgで、そのうちの20%がエンジンだという。
 
イシゴニスは、第二次大戦後もライトウエイト・スペシャルを走らせたが、エンジンはモーリスの実験型OHC を積んだ。このクルマは現在も健在で、英ヴィンテージ・スポーツカー・クラブのイベントに出場していた。
 
ウィリアム・モーリス、のちに爵位授与されナッフィールド卿 ( 1877 〜1963年) は、16歳にして自転車製造修理店を開き、1901年にモーターサイクル製造、1912年には最初の自動車、"ブルノーズ"(ラジエーターが雄牛の鼻に似ていた)・モーリスを製作した。 

モーリス社設立し、英民族系大メーカー、ナッフィールド・オーガニゼーションに育てたウィリアム・モーリス,騎士称号サー・ウィリアム、爵位受勲しナッフィールド卿。1962年にポーズするのは、イシゴニス・コンセプトの第2作、ADO 16 "1100 "のモーリス版。ナッフィールドとオースティンが合併して形成されたBMCは、ロングブリッジ、カウレーにそれぞれの開発センターを維持した。ADO 16はカウレーが開発した。ナッフィールド卿は、ADO 16 "1100 "の発表翌年に死去した。


モーリスは、ライバルの大量生産メーカー、オースティンに対抗すべく、経営不振に陥っていたウーズレー、ライレー社を買収した。さらに、彼の個人趣味としてスポーツカー部門、MG(モーリス・ガラージ頭文字)を設立する。総称、ナッフィールド・オーガニゼーションを形成した。
 
製品、生産面大改革を実行したのが、1923 年にウーズレー入社、32 年にモーリス役員となるレナード・パーシー・ロード、のちに受勲しサー・レナード、そして爵位を受けたランブレイ男爵ロード卿だ。レナード・ロードの手法は直裁的であり、およそ騎士、貴族に似つかない粗野な言葉を使ったという。1935年発表の小型車モーリス・エイトは、「英国フォードYタイプの影響大」と評されたのは、ロードの最短直行アプローチを示す。

文・写真:山口京一 Words and Images: Jack YAMAGUCHI

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