フェラーリを愛するオーナーを 応援し続けるために。ナカムラエンジニアリング物語 第4章

自分の城を築き上げ、理想を実現したかのように思われたナカムラエンジニアリングだったが、すべてが順風満帆というわけではなかった。車両の状態を気にかけず「とりあえず動けばいい」と考えるユーザーが増えてきたのだ。それに直面したナカムラが見出した転機とは…

新社屋が竣工すると、ナカムラはスーパーカー雑誌に大々的な広告を打った。その影響力は大きく、入庫するモデルも328や348からF355、さらには360へとどんどん新しくなっていく。乗りやすさが売りの跳ね馬が増えると同時に、ナカムラを頼ってくる客層も変わり始めた。
 
扱いやすくなり生産台数も増えてくると、なかには外観だけ綺麗に繕った、けれども乗りっぱなしでろくに整備のされていない個体も増えていく。常にメンテナンスを怠らずメカをしっかり組んで乗るという昔ながらのフェラーリ乗りよりも、とりあえず走ればそれでいいというファッション感覚のオーナーが多くなったのだ。新車のクォリティが向上し、2ペダルも選べるようになったF355以降にそれは顕著な現象だった。
 
ナカムラにも二次、三次ユーザーの手に渡ったコンディションに難のある個体の入庫が次第に多くなった。当然、ナカムラの見立てた通りにすべてを一からやり直すとなると、放ったらかしになっていた個体にかかる復旧費用は莫大なものになる。客はといえばそんな本来のパフォーマンスを取り戻すことより高価なホイールやマフラーをさらに買いたがった。修理よりもカスタムを優先したいのだ。
 
それでも工場のメカニックたちは、カスタムなどのついでにできる限りの現状復旧をこっそり施したという。ユーザーからはまるで評価されない、それは仕事だった。お金も取れなかった。どうしてナカムラのメカニックはそんな誰からも褒めてもらえない仕事をしたのか。それは誇りだった。
 
たとえばバンパー内にステーの見当たらない個体があったとしよう。メカニックはこっそりステーを取り付けていた。ナカムラにも客にも知らせることはない。その車がどこか別の工場でバンパーを外されたとき、たとえそれが以前からの不良であったとしても、ナカムラを通った車両という事実は変わらないし、ナカムラがやらなかったと受け取られたとしても仕方ない。それが許せなかったのだ。
 
もちろん、そういう客のおかげで会社は潤った。ナカムラやメカニックも良い経験を踏めたし、その結果、進歩することができた。感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
一台でも多くのフェラーリを救済したい。その気持ちは依然としてあった(今もある)が、このままでは先がない。ナカムラはそう思い始めていた。次から次へと乗り換えてはカスタムするようなユーザーの要求と自分たちの仕事がマッチしなくなっていたのだった。

文:西川 淳 写真:ナカムラエンジニアリング Words:Jun NISHIKAWA Images:NAKAMURA ENGINEERING

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