2台のブガッティを時速300kmで乗り比べ!|ヴェイロンとシロンを限界まで踏む

Graeme Fordham / Bugatti



聖地を巡るグランドツーリング


ヴェイロンスポルトヴィテッセと現行モデルのシロンによる今回のグランツアーは、ブガッティの現代物語によってインスパイアされたものでもあった。それはEB110が生産され今ではモダンな廃墟となっているイタリアはモデナ近郊のカンポガリアーノにあるファクトリーをスタートし、VWが再興の地として選び新たな生産施設を立ち上げたブガッティの故地、アルザスのモールスハイムへと至る旅だ。



ブガッティのテストドライバーであり1988年のル・マン勝者でもあるアンディ・ウォレスによって設定されたルートには、イタリアからオーストリアへと越えていく峠道があり、十分に長いドイツ・アウトバーンの速度無制限区間も用意されていた。アンディがシロンの"お守り役"。彼の同僚で2006年からブガッティでテストドライバーを務めるヴェテランドライバー、ピエール–アンリ・ラファネルがヴェイロンのコ・ドライバーだ。道中、筆者は二台を乗り換えつつゴールを目指す。

それにしてもカンポガリアーノ工場は今見てもなお壮観な建物だった。事実、"ブルー・ファクトリー"は当時、数々の賞を獲得しているのだ。建築家ジャンパオロ・ベネディーニによる設計は、明らかにコスト度外視で実現されていた。ガラスパネルで覆われた階層構造の建屋にはデザインスタジオとかなり大きめのホールが入っており、生産ラインを収めた細長い工場の壁には巨大なブガッティのロゴを掲げたコンクリートのパネルが配されている。当時のイタリアではめずらしく徹底的な平等主義が貫かれており、すべてのスタッフが同じ食堂で同じ食器を使って食事をしたという。ブガッティのモールスハイム旧本社にあったドアはすべてここに持ち込まれ、今なお食堂の出入り口に使われている。カンポガリアーノ工場は1990年に開かれ、5年間で139台のEB110を送り出したのち、閉鎖されたのだった。





カンポガリアーノの誕生30周年を祝ってツアーの起点となったわけだが、工場で催されたガラディナーには、現在のブガッティを率いるステファン・ヴィンケルマンとともにロマーノ・アルティオーリも出席しスピーチした。この手の廃墟にしてはよくぞここまで破壊行為を免れてきたものだと不思議に思っていたが、実は当時の施設管理者が今なお愛情を込めて建物をできるだけ維持しようと、草を刈っては、侵入者と自然との両方から建物を守っているらしい。その人物とはエツィオ・パヴェージで、ブガッティ破綻後も別の仕事をフルタイムでこなしながら管理をし続けており、今では23歳になる息子のエンリコまでが手伝っているという。彼が生まれた時にはすでにここでブガッティなど造られていなかったにも関わらず!



まずはシロンを試す


まずはシロンから試すことになった。翌日、カンポガリアーノを出発した我々は、ドイツ語圏のイタリア、南チロルを抜けてオーストリアに入るというルートをいく。シロンのパッケージはヴェイロンのそれと同じだ。すなわち、カーボンファイバー強化樹脂製のモノコックボディを有し、ドライバーの背後には8ℓのW16クワッドターボを積んでいる。エンジンの進化は凄まじく、ほとんどが新設計となって、今では1500PSという途方もない最高出力を標榜するに至った。おかげで7速ツインクラッチのトランスミッションとAWDシステムをもってしても、すべてのコーナーでいちいち気を揉まなければならないはめになってしまう。ブガッティによれば0-100km/h加速は2.4秒で、さらに非現実的な数字を言えば、0-200km/h加速に至っては、なんと6.5秒というから凄まじい。



とはいえ、そんな恐ろしいスペックから想像されるほど、扱いづらいというわけでもなかった。ハイパーカーのなかではまだしも乗り込み易い方だし、室内は豪華で快適だ。確かにW16エンジンは大きな唸り声を上げて目覚めたが、ことさら大仰に弾けた人工的な音をがなり立てたりはしない。同じような経験が過去にあったような気がして、よくよく思い出してみれば、それはV8エンジンを2基積み込んだパワーボートのそれだった。とにかくゆるゆると動かすことも難しくない。ツインクラッチのトランスミッションはまるでトルコン付きかのようにスムーズな変速が可能で、これほど幅の広い車であるにも関わらず思い通りのラインを正確に走らせることだってできるのだ。日常の速度域におけるしなやかな動きが特に印象的だった。



シロンの完璧な指南役がウォレスだ。彼はシロンで16万km以上も走破している。シロンを手に入れるためには邦貨にしておよそ4億円を支払うことになるが、その費用の中には彼とともにシロンの知識と性能を共有する1日が含まれている。そこで彼はたとえば、高速道路を180km/h以下の速度域でシロンを走らせる場合には、ドライブモードを"アウトバーン"にすることがお勧めで、それは「リアウィングのエアブレーキ機能を活用するためだ」、という具合に極めて実践的な知識を伝授してくれるのだ。さらに彼の見識と経験は底知れず、聞いているだけでも興奮する。彼は1992年にマクラーレンF1で当時の世界最高記録である386.4km/hを達成したが、今度は2019年に同じVWグループ所有のテストコース"エーラ・レッシェン"において、後に300+エディションという名で発表されたシロンの高性能バージョンを駆り、世界で初めて時速300マイル(482km/h)の壁を超えてみせた。記録への挑戦を準備している最中に、ウォレスはとある事実を知って心底驚いたという。1分間に8kmも進んでしまう世界では、理論上、滑らかな路面のちょっとした変化でもシロンを文字通り舞い上がらせてしまうというのだ。

とはいうものの、現実の公道では、ほとんどすべての領域においてシロンの使い勝手は良好だ。ツアー最初の数時間で早くもその性能をフルに発揮させる機会に恵まれたが、その加速はというと、たとえギアがどこに入っていようと、またマニュアル操作か機械任せかにも依らず、獰猛かつ瞬発的なものだった。サウンドがほとんど瞬時に、そして劇的に変化する様はまさにジギルとハイドといった様相だ。あまりに強烈な加速ゆえ曲がった膝も伸び切ってしまいそうになる一方で、平静に戻るのもまた一瞬しか掛からない。

記録達成車のヴェイロン


さらに山間深く、オーストリアのハーンテン峠に差し掛かったあたりでヴェイロンに乗り換える。このオレンジと黒のグランスポーツ・ヴィテッセはブガッティが所有する車で、正真正銘の記録達成車両である。2013年にオープントップの車として400km/h以上を達成(406.4km/h)した、まさにそのものなのだ。もっとも取材当日はルーフをつけたままだったが⋯

この黒とオレンジのヴェイロン・グランスポーツ・ヴィテッセは2013年にオープントップモデルの速度記録406.4 km/hを達成した、まさにそのものである。このマシンを駆ってイタリアからオーストリアへとアルプスを越えるドライブは天にも駆け上がる気分だった。

後期モデルのヴェイロンには改良版のW16が積まれており、ダイナミック性能も大きく進化していた。思い返すに13年前、筆者が初めてヴェイロンを狭いワインディングロードで試した時には、やたらと幅が広くて重い車に感じられたものだった。ところがこのグランスポーツを駆るとすぐに思っていたよりずっと操り易いことに気づいた。もっともシロンよりはうるさく、硬く、ステアリングフィールも重めでギアシフトは過激である。



巨大で高価なミシュランPAXタイヤを履いたヴェイロンのグリップレベルは相当に高いものだったが、それでもタイトターンから脱出するような場合でヴェイロンは、その強大なパワーを路面へと伝える術をまるで探しあぐねているかのような動きをみせる。ヴェイロンに積まれたW16エンジンの方がパワーバンドは明らかに狭い。それゆえアクセルペダルを踏み込んでからターボのブーストによって視界が大いに傾き、内燃機関が盛大な推進力を発揮するまでにほんのわずかなタイムラグを感じてしまう。狭い道ではそのサイズと四肢の感覚が掴み難いためにさほどペースは上がってこないものの、真剣に走らそうとすれば依然としてスリリングなマシンであることに相違ない。ペースが上がればさらなる高みを目指したくなるものであり、ドライバーの本能が、直線が見えてくるまでそれ以上踏み込むことはよせと、絶えず訴えかけてきた。

新しいパートナーは(当然のことながら)すべての点でウォレスと同じ知見を持った人物だった。ピエール–アンリ・ラファネルは耐久レースで長いレースキャリアを持ち、ル・マン24時間レースでの二度にわたる2位フィニッシュなど輝かしい戦績を収めたドライバーである。1989年のモナコGP決勝を走るなどフォーミュラ1での経験も短いながらあった。彼もまたヴェイロンの速度記録挑戦に関わっており、スーパースポーツで428.6km/hを達成した。VWによるブランド復活の当初からブガッティのテストドライバーを務め、そのテスト回数はなんと7500回にもおよぶ。ブガッティ製品を最も知り尽くした人物のひとりに他ならない。

素晴らしい車を素晴らしいアンバサダーたちと共に駆るという喜び。向かって左がピエール– アンリ・ラファネル。中央がアンディ・ウォレス。いずれも世界速度記録保持者だ。

そんな相手と一緒にブガッティへと乗り込んだというのに、インテリアの雰囲気にビリオネア向けの豪華さがあるとは決して言い難かった。2000年代初期というとキャビンのデザインに目立った進化を見ることが出来なかった時代で、のちの世代と比べるとほの暗く、未だ仕事場の雰囲気があった。ヴェイロンにしても、決して同時代の他の安いモデルから計器やスイッチを流用した事実はなく、すべてが専用品であったにも関わらず、見栄えはプラスチッキーだし、どちらかというと価格の桁が二つほど低いモデルにお似合いのようにも見える。おそらくインテリアデザインなど二の次だったのだろう。同じ年にデビューしたベントレーコンチネンタルGTの方が、価格が5分の1以下であったにも関わらず、もっとラグジュアリィな雰囲気を醸し出していたように思える。



編集翻訳:西川 淳 Transcreation:Jun NISHIKAWA Words:Mike Duff Photography:Graeme Fordham / Bugatti

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