初代オーナーは女子大生!?現代に蘇ったメタルに輝くランボルギーニミウラ、その価値やいかに。

Karissa Hosek (C) 2021 Courtesy of RM Sothebys

車の質の高さを確かめるための方法の一つとして、むき出しになった金属のボディを見るというのがある。時代を超越したベルトーネのボディの美しいシルエットがロサンゼルスのダウンタウンのまばゆい灯りの下で輝いている。このゴージャスな1971年のランボルギーニ ミウラP400Sは、専門家によって細心の注意を払ってレストアが施され、問題なく走れる状態だ。このクラシックスーパーカーがどのようにして再発見され、蘇ったのかという物語は、RMサザビーズが毎年8月12日から14日に開催するモントレー・オークションの目玉商品になるのに十分なものだった。

修復されたものであれ、新品のものであれ、ファイティングブルはスピードで評価するのが一番だ。そこでロサンゼルスのダウンタウンにやってきた。夕暮れ時の比較的人通りの少ないグランドアベニューの広大な敷地は、撮影のエキスパートであるカリッサ・ホセックが撮影した写真にとって完璧な背景となる。この車のフォルムを昼間に撮影するのは、磨かれた金属のボディがクロムのような輝きを放っているため、ほとんど不可能だ。委託者の目的は、ミウラの現代的な解釈として過度な修復を行うことで車の魂を失ってしまうのではなく、この車の真正性とオリジナリティを維持し、実際にどのように構築されたかの証として、真のハンドビルドの品質を維持することだった。



この車体番号が見事にマッチしているミウラSをどのようなスタイルにするかという悩ましい選択を迫られ、グレー・ホワイトにブルーのインテリアというオリジナルのカラースキームを選ぶこともできた。しかしこのランボルギーニのアイコン的存在であるミウラの次のオーナーは、それではあまりにも刺激的ではないと考えた。結果、このランボルギーニを「そのままの状態」で楽しむこともできるのではという思いから、目立ちたい人たちの街ロサンゼルスにぴったりの美しいベアメタルに仕上げるという結論に至った。ちなみにこのミウラはペブルビーチ・コンクール・デレガンスのミウラ50周年記念イベントで、ポロ・ストリコが修復したランボルギーニのプロトタイプ、ミウラSVに対抗してファースト・イン・クラス賞を受賞したこともある。

ベイエリアの倉庫で何十年も過ごしたこの車を救い出したこのミウラの委託者は、この車を自分のものにするためのプロセスに、オーナーがどのように関わりたいかを慎重に考えている。



しかしなぜこのミウラはバーンファインドのように長い間人知れず倉庫で眠っていたのだろうか。

それは、シリーズII生産の後半、究極のスペックであるSVが開発されていた時期のP400Sというモデルの起源にさかのぼる。ランボルギーニ愛好家の間では "トランジショナル "と呼ばれるこのモデルは、ミウラSモデルの象徴である “まつ毛"で囲まれたヘッドライトとナローボディを維持しながら、ラジエーターとエンジンルームの冷却のためにエアフローを改善したフレーム、より大きなベンチュリーのウェーバーキャブレター、ポート付きのインテークマニホールドとシリンダーヘッド、ベント付きのSVスタイルのブレーキ、CVジョイントのリアアクスルなどを装備した、合計50台にも満たないファクトリーモディファイモデルである。このシャシー番号4761のミウラの最初のオーナーであるイランの有力者一家は、このアメリカ仕様の車に惚れ込み、サンタガタ・ボロニェーゼのランボルギーニ工場でこの車を手に入れた。そして、一家の19歳の娘がカリフォルニア大学バークレー校に入学した際、アメリカ西海岸に輸送された。

聞くところによると、この女子大生はこの最高級のミウラSのドライブを楽しんでいたようだが、クラムシェル型のアルミ製ボンネットに事故が発生した後、彼女は以前に小さな修理で利用したことのあるベイエリアの修理工場に修理を依頼しようとした。しかし修理にかかる時間を考慮して、ご両親は娘さんに新車を購入することを選択させ、ミウラSはショップのオーナーに売却されたのであった。



このミウラSは、ショップオーナーがその一家から譲り受けた後、サンマテオのガレージで何十年も放置されていたという。熟練した職人を必要とするプロジェクトカーだったため、ショップオーナーは十分な知識を持っていたものの、自分では完成させることができなかった。

しかし、1977年にイタリアに旅行した際に、彼はランボルギーニから直接交換部品を探し出して入手した。長い冬眠期間を経ていたため、ランボルギーニの工場出荷時のディテールはそのまま残されており、めったに見られないオリジナルのPPGペイントラベルや、新車時から供給されていたピレリGR70VR15チントゥラートCN73タイヤなどもそのまま残されていた。現在の委託者は、この最高にオリジナルな個体の購入を決意したとき、賢明にもホセックに購入プロセスの撮影を依頼した。その結果、このミウラSの保存の各段階には、膨大なドキュメンタリー写真が残されている。



ランボルギーニは、ミウラのインテリアにブルーのカーペットやシートを装着することはあっても、ダッシュボードやドアカード、ステアリングホイールまでブルーの仕様はなかなか少ない。実際、このインテリアは他に類を見ないオリジナリティを持っていることから、現在の委託者はこの車全体を優れた保存例として残す価値があると確信した。委託者は、ミウラをコンクールレベルで展示した経験があり、ペブルビーチの強豪を相手にベスト・オーバーオール・プリザベーション賞を受賞したこともあるのでその品質の高さをよく分かっているたのである。



レストア作業は、経験豊富なチームが担当した。ベックマン・メタル・ワークスのスティーブ・ベックマンが最も重要な部分を担当した。また、モーガン・イメージズのクリス・モーガンは、70年代のスーパーカーをベアメタルの状態にする作業を担当し、南カリフォルニアのトップPDRエキスパートの一人であるスティーブ・ブラウンは、すべてのボディパネルの直線性を微調整する作業を担当した。複雑な構造のフロントノーズを一人で修復し、シリアルナンバーの入ったオリジナルの表皮を保存したベックマンの手腕と、ブラウンとモーガンの協力により、このミウラSは時代を超えたオリジナルの形状を保つことができたのである。その後、ミウラのスペシャリストであるジェフ・ステファンにメカニカルな作業を任せ、あらゆるメカニカルな面で、このファイティングブルを立ち直らせるための長いリストを達成した。



ウェーバーキャブレターを新品同様に修復・調整する独自のプロセスを含め、メカニカルなニーズの長いリストに対応した後、ステファンはこの素晴らしい12気筒パワープラントを完成させるために、最後のジュエリーに目を向けた。数年前、伝説的なランボルギーニのテストドライバーであるボブ・ウォレスの協力を得て、ステファンはドイツの職人に、レストアされたキャブレターを飾るカスタム・ベロシティ・スタックの製作を依頼した。この究極のレア・アクセサリーの追加が、このミウラSを際立たせている。もちろん、オリジナルにこだわる委託者にふさわしく、オリジナルのミウラ純正エアボックスも付属している。



ランボルギーニというブランドの歴史を守るために、この素晴らしいミウラSは、将来のレストアプロジェクトの参考になるだろう。真のタイムカプセルともいえるこのモデルは、8月12日から14日に開催されるRMサザビーのモントレー・オークションで最も注目を浴びる一台となるだろう。すでに複数の著名な自動車専門誌が関心を寄せているこのミウラSの今後については、次の幸運な管理者の手に委ねられている。これが、現代のスーパーカーの先駆けであるだけでなく、史上最も美しい自動車デザインの一つであると多くの人が考えているこの車を保存するための、長年にわたる崇高な努力の結果なのだ。

Karissa Hosek (C) 2021 Courtesy of RM Sothebys


オクタン日本版編集部

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