まったくオリジナルのまま!初期型コブラを手に入れ、レストアを始めるまで|蛇遣いは魔法使い【前編】

Photography:Gus Gregory and Paul Harmer

クラシックカーのショールームへのアプローチとして、これほど心躍るものは他にあるだろうか。世界初のバンク付きモータースポーツ専用サーキットであるブルックランズのメインゲートを通り抜けて右に曲がり、かつてはホームストレートの最後の部分だったひび割れたコンクリートの道に沿って進むと、突然バンクの底に出る。聳え立つバンクはまるで、映画『猿の惑星』に登場する遺跡のようだ。1939年からずっと使われていないが、さらに右に折れて巨大なカーブに沿って進んでいるうちに、戦前のレーシングカーの一群、すなわち怪物のようなベントレーや攻撃的なライレー、無数の小さなオースティンが私に向かって殺到してくるような気がして怯んでしまった。

聖地に構えるACスペシャリスト


そんな幻想を振り払ってメンバーズブリッジをくぐり抜けて、インフィールドの木立の中に入ると、そこにあるのは以前ブルックランズ・メンバーズレストランだった建物で、今はクラシックカー、とりわけACのスペシャリストであるブルックランズ・モーターカンパニーの本拠地だ。

ブルックランズ・モーターカンパニーは、つい最近オーナーであるジョン・ケントのためにレストアした1963年シェルビー・コブラ Mk.1を管理している。この車はレースでの活躍や有名人が所有していたというヒストリーを持つわけではないが、近頃ではますます貴重となっている、まったくオリジナルのままの初期型コブラである。強力なフォード製 V8 エンジンを、手作りのヨーロッパ製スポーツカーのボディに積むという、キャロル・シェルビーの理想を最もよく表現したものだろう。

あれは2006年のこと。私は『Octane』誌上での連載コラム寄稿を考えてくれないかと、キャロル・シェルビーにメールを送った。ある年代の英国人は昔のできごとがあった時に、自分が何をしていたかを細部まで正確に覚えているといわれる。これは私も同様だ。ある時、自分のガレージで古い車をいじっていると電話が鳴り、取り上げた電話の向こうからあの有名なテキサス訛りが聞こえてきたのである。

「ハロー、マーク。こちらはキャロル・シェルビー...」

それから2年半にわたって、キャロルはコラムニストとしても一流であることを証明してくれた。その中でコブラについて語ってくれたことは言うまでもない。どのようにしてあのプロジェクトが始まったのか、彼自身の言葉をかつての『Octane』から引用しよう。

キャロル・シェルビーが語ったコブラ誕生のとき


「自分の車を造るチャンスが訪れたのは1961年のことだった。ACカーズが2シーターのACロードスターに積むブリストル製6気筒エンジンの供給を受けられなくなった時、ちょうどデトロイトではフォードがスモールブロックのV8を完成させていた。そこで私は、ボディとシャシーを提供してくれるようにACのチャールズ・ハーロックに働きかけ、いっぽうでフォードのデイブ・エヴァンスと新型V8エンジンを使わせてくれるように交渉した。その両方をカリフォルニアのディーン・ムーンのガレージで一緒にしたというわけだ。まったく金はなかったが、降りることはできないギャンブルだったんだ。ある晩見た夢からその車を"コブラ"と呼ぶことにした」

改造したACシャシーに搭載するために、シェルビーは既にサンプルのフォードV8エンジンをテムズ・ディットンのAC工場にも送っていたが、伝えられるところでは、一切の書類なしでエンジンが届いたために受け取った人間は大いに困惑したという。木箱を開けたスタッフはACのボスのデレク・ハーロック(チャールズの甥)におそらく日本製だろうと告げたという。"箱の横にはFOMOCOと書いてあるが…"

シェルビーのファクトリーで製作中のごく初期のコブラ。エンジンがまだ260の時期だ。(FOMOCO) 

CSX2082


コブラのボディとシャシーの製作は、1962年にテムズ・ディットンの工場で始まった。7月17日付けでジョン・ケントが注文したシャシーナンバーCSX2082は、289cu-inエンジンを積んだ初期型コブラのうちの一台だった。コブラ生産開始直後、最初期ロッドは75台で、260cu-inV8エンジンを積んでいたが、289への変更がいつおこなわれたかは正確には分かっていない。ケントのコブラは、シャシーナンバーから判断するに、289の7番目と見られている。確かなことは、CSX2082は赤いボディカラーとブラックの内装を持ち、アメリカン・ファーマー丸に積まれて1963年2月11日にニューヨークに向けて発送されたことだ。エンジンとギアボックスは搭載されておらず、後に米国のシェルビーで積まれることになっていた。ACの担当者は発送記録に宛先は”キャロル・シェルビー”と記載している。もっとも、彼の名前は英国では女性の名前であり、当時はほとんど知られていなかった。

コブラ289のカタログ。オーバーヒート対策のために、フェンダーにエアアウトレットが備えられた。(FOMOCO)

スティーブ・グレイはブルックランズ・モーターカンパニーのオーナーで、当然ながらACとの関係は長く深い。スティーブはこう語ってくれた。

「私たちは現代のACカーズとも緊密に仕事をしています。ACカーズのボスであるアラン・ルビンスキーとは、彼が、ブライアン・アングリスが閉鎖した工場を買い取った1996年から、もう25年の付き合いです。私たちはACの電気自動車の開発でもアランと協力していますが、やはりテムズ・ディットンとブルックランズで造られた車の修理とレストアが主な仕事で、そちらはACヘリティッジという立場で行っています」

ブルックランズ・モーターカンパニーは、ACが使用していたオリジナルのコブラ用ボディ木型を所有しており、CSX2082のレストアに際しても使用された。スティーブと彼の熟練スタッフが、英国の他の誰よりも多くコブラのレストアを手掛けたことは間違いない。したがってジョン・ケントが彼の買い物を誰かにチェックしてもらいたいと考えた時、真っ先に名前が上がったのも当然である。

「ずっと前からコブラがほしかった」と後にジョンは電話で話してくれた。

「ほとんどの人の買い物リストに入っているんじゃないかな?この車を見つけたのは、2016年9月のRMサザビーズのバッターシー・オークションの広告だった。その時は行かなかったんだけどね。コブラはオークションで落札されたが、取引は成立しなかった」 

「ちょうど休暇のためにポルトガルに出かけようとしていた時だった。空港に向かう途中でちょっと見てもいいだろうと妻を説得したんだ。その後、空港のラウンジで出発を待っている時に、雑誌でスティーブのブルックランズ・モーターカンパニーの広告を見た。そこで彼に電話して、私たちが留守にしている間に、車を確認してもらうことはできるだろうかと頼んだんだ。スティーブは興奮して連絡してきた。間違いなく本物のオリジナルカーだという。そこでオークション担当者と交渉し、ハンマープライスよりもちょっとだけ安く購入したというわけだ」

コブラを裸にしてみると、シャシーとボディがまったくオリジナルであることが明らかになった。

【後編】に続く>


編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA

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