真っ赤なビーチバギーになっていた!?アルゼンチンに渡ったポルシェ「718-004」の数奇な運命|蜘蛛のひと噛み【後編】

Alex Tapley

この記事は「現存していること自体が奇跡!ワークスチームがレース参戦したポルシェ「718-004」の物語|蜘蛛のひと噛み【前編】」の続きです。

004に課せられた重要任務


ドーリー伯爵は、ポルシェ社にとってかけがえのない歴史的遺産を取り戻した恩人でもあった。それはアルゼンチンに置き去りにされていた、チシタリア・タイプ360の奪還に尽力したことだ。この車両は、ポルシェ設計事務所がチシタリアの創業者であるピエロ・デュジオからの依頼で、ルドルフ・フシュカ(後にアルファスッドを開発)らが設計に取り組んだミドシップ4WD、水平対向12気筒1.5リッターターボチャージャー付きグランプリカーだった。父のフェルディナント・ポルシェ博士が戦争協力者としてフランスに幽閉されている間、事務所を守っていたフェリーは、この開発で得た収入を父の保釈金に当てる計画で請け負ったのであった。  

だが、マシンは完成したものの、1949年にチシタリアは倒産。デュジオは再起を図ろうとイタリアを脱出してアルゼンチンに移住し、車両も持って行ってしまった。あろうことか、ペロン政権時に、デュシオは再び倒産。その後もアルゼンチンに滞在し続けられるよう、タイプ360を大統領に献上したのだった。1955年、ペロン政権は転覆し、資産が差し押さえられることになった。そんな混沌とした状況のなか、フォン・ドーリー伯爵はタイプ360の買い取りを実現させた。そこからさらに数年、タイプ360は人目につかないボート小屋に保管されてきた。1960年、伯爵は税関職員と共謀して、718-004であるように書類を偽装すると、"修理のため"としてドイツに送り返すことに成功した。ドイツに到着したタイプ360は、現在に至るまでポルシェ・ミュージアムに保管されている。

数奇な運命

一方、アルゼンチンに残った718-004は、相変わらず数奇な運命を辿った。タイプ360がドイツに向けて出発した後、1月にはブエノスアイレス1000kmに参戦。2月にはキューバ・ハバナで開催されたスピードウィークに参戦するため、市販型の718RSK(034)と一緒に送り出された。面白いもので、カストロの革命政権下のキューバであっても、当時はモータースポーツ・イベントが存続していたのだ。  

ポルトガル人ドライバー、マリオ・デ・アラウージョ・カブラルは、718-004がフォン・ドーリーの"スペアカー"として持ち込まれていることを知るや否や、友人のダニエル・デ・マガヤエスに購入することを勧めた。スピードウィークに718-004で参戦したカブラルは4位で走っていたが、やがて、案の定というべきかエンジントラブルに見舞われた。 718-004はポルシェ・ファクトリーでの修理を経て、ポルトガルに到着した。9月には当時はまだポルトガルの植民地だったアンゴラへ旅立ち、首都ルアンダで開催された公道グランプリに参戦するも、オーナー・ドライバーであったデ・マガヤエスはリタイヤに見舞われた。  

次に訪れたのはブラジルのリオデジャネイロだ。翌年のアンゴラでもデ・マガヤエスは3位フィニッシュを達成するも、1962年のニュルブルクリンク1000kmは718-004にとって致命的だった。デ・マガヤエスはコ・ドライバーであったカブラルの指示を聞き違え、フルスロットルする場所を誤り、120mphで宙を舞って大破。修復後、アンゴラのグランプリに2度参戦し、そのほかいくつかのレースに参戦するも、やがて相次ぐ故障に痺れを切らしたフォン・ドーリー伯爵はポルトガル人アマチュア・ドライバー、カルロス・ファウスティーノに718-004を売却した。ファウスティーノの手に渡ったところで故障はなくならず、1967年にはとうとう行方知れずとなった。また、この頃、718RSKは紫色のペイントに塗られていたという。





発見された"718-004"

1978年に姿を現した718-004はグラスファイバー製のカムテールを備え、ボディは赤に塗られていた。なんと当時のオーナーが"ビーチバギー"として用いていたというから驚く。さらにポルシェ・オリジナルのDOHCエンジンは消息不明だった。ドイツにかつて存在した「ロッソ・ビアンコ・ミュージアム」のペーター・カウスの手に渡りレストアが施され、オランダのローマン自動車博物館が2008年に取得したが、まだRSK本来の姿を取り戻したわけではなかった。  



翌年、オランダ人ポルシェ・コレクターのアルベルト・ヴェスターマンが718-004を入手し、ドイツ人スペシャリストによって細部にわたって入念な再レストアが施された。ワークスカーと同様にフロントノーズを長めに戻し、オイルクーラーを装着したほか、オリジナル同等のエンジンに載せ替えた。作業が完成したのは2013年のことで、アルベルトの息子、ロベルトがグッドウッド・リバイバル2019でRSKのお披露目をした。  

新車のような輝きを取り戻すこともできたであろうが、あえて綺麗過ぎない、年式相応な雰囲気に仕上げられていた。フラブルクのヒルクライムで負った傷痕も完全に消すことはせず、修復の痕が勲章のようにさえ見える。ボンネットはあえてアルミ剥き出しとし、1958年に参戦したル・マン24時間のときと同じカーナンバー30を書き込んだ。

ビスターで試乗する

軽量スペースフレームが細い格子細工になっていることを知っているゆえに、車に乗り込む際はアルミパネルのフロアには足を乗せないように注意を要する。シートの色はワークスマシンがそうであるように、赤い。ドアを閉めると、軽量ながらも堅牢さを感じさせ、フィッティングは完璧だ。キーを挿入して回しスターターボタンを押す前に、ほかにもやるべき"儀式"がある。まずイグニッション・スイッチを2個、そして燃料ポンプのスイッチを2個オンにする。燃料タンクはフロントボンネットと助手席右側に備えており、キャブレターはオリジナルの40mmのものよりも大きなウェバー46IDAを装着している。  

一連の儀式を経てエンジンをスタートさせると、油圧が低いことに気づく。ローラベアリング式クランクシャフトゆえのことで、心配は無用だ。ノンシンクロ・トランスミッションは4段型だったオリジナルに対して、現在の718-004は5段型に換装されている。クラッチを少しリリースすると、ギアが吸い込まれるようなポイントが見つかる。1速から2速へは Uの字を描くようにシフトチェンジし、エグゾースト音はステロイドを接種したような空冷サウンドを奏でる。動き出すだけで感じるのは、RSKの軽さだ。やがて試乗コースのコーナーにも慣れ、エンジンも徐々に暖まってきた。フロントノーズのオイルクーラーは繋がっていないが、サイドシルに取り付けられているものはしっかり仕事をしている。 3000rpm付近からエグゾースト音は存在感をグンと高める。4000rpmでのスピード感は抜群で、6000rpmまで一気呵成に吹き上がる。もっとエンジンを回してみたいが…、718- 004の歴史を知っているだけに躊躇してしまう。なお、タコメーターは10000rpmまで刻まれている。



ZFのステアリングギアボックスは、コーナーではダイレクトかつ正確なコントロールをもたらしてくれるが、中立付近ではやや遊びの存在を感じる。ブレーキはしっかり踏み込む必要があるが、制動力に不安を覚えることはない。フロントのグリップを意識しながらコーナーに侵入し、コーナー出口前からアクセルペダルを踏み込むとリアのアウト側に荷重が乗る。きびきびとコーナーを駆け抜けるRSKは楽しく、エグゾースト音はうっとりするほどの快音だ。許されるのであれば、一日中ビスターのコースを周回していたいと思わせてくれる。  

アルベルト・ウェスターマンは最近、他界したので718-004を含むコレクションの一部は放出されることになった。半世紀に渡ってこのワークス車両は数奇な運命を辿り、復活を遂げている。新たなオーナーによって718-004がサーキットに戻る日が待ち遠しい。戦績を振り返ってみれば、718-004はまだまだ実力を発揮しきれていないのだから。


編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation: Takashi KOGA (carkingdom)
Words: John Simister Photography: Alex Tapley

古賀貴司(自動車王国)

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