【Ferrari 70th】vol.1:未完の大器 フェラーリ250LM

身だしなみの良い悪魔

GTレーシングカーか、あるいはスーパーカーの先駆者か?フェラーリは250LMがロードゴーイングカーであると世間に信じさせたかった。だが疑い深い人たちを納得させることはできなかった...。

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ランボルギーニが「スーパーカー」を発明したというのは大筋で本当のことだろう。実際、この単語は「ミウラ」のために生み出されたものだ。それに対してフェラーリは、多少証言内容に違いがあるとはいえ、結局のところ新しいことに手を出しても得るものは少ないと判断し、手堅く、保守的な365GTB/4、いわゆるデイトナでそれに対抗する。メディアは同じ土俵に上がろうとしなかったフェラーリの姿勢にたちまち批判を浴びせた。

だが、別の見方もある。そもそもミッドシップを語るのなら、フェラーリは既に反撃をしていたではないか、という説である。つまり、ただ単に250LM をロードカーであると考える人がほとんどいなかっただけだというのだ。

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50回の節目を祝う1963年10月のパリサロンでベールを脱いだ250LMは、賞賛と言うよりは好奇心の混じった訝しげな視線を集めたという。ロード&トラック誌のヘンリー・マネイ三世はこうリポートしている。

「ATSクーペを半信半疑で眺めながら、ピニンファリーナはル・マン・ウィナーの250Pに蓋を被せたようなボディを作らされたのだろう。LMとはもちろんル・マンのこと、この車は、あの聖なる250GTOの後継者となるべきモデルなのだが...。性能数値は例によって信じられないほどだが、そうではないという理由も見当たらない」

フェラーリによる推定最高速度は180mph(290km/h)以上とされていたが、これまた例によって社外の人間は誰も試すことができなかったのだ。

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フェラーリは、国際レースの統括団体であるCSI(Commission Sportive Internationale=FIA:国際自動車連盟のモータースポーツ部門で後のFISA)だけでなく、広く世間に250LMがGTカーであることを認めさせようと全力を尽くした。たとえ実質的には1963年のル・マン24時間を制したスポーツプロトタイプの250Pに屋根を取り付けただけの車だったとしても、新しいロードゴーイングGTであると言い張ったのである。依然として250GTOはGTカテゴリーの王者として君臨していたが、シェルビー・コブラをはじめとしたライバルの成長は目覚ましく、フェラーリも新しい武器を必要としていたのである。しかし、それには明らかな、しかも大きな問題があった。250LMをGTカテゴリーとして認可させるには最低100台という義務生産台数をクリアする必要があったのだ。

フェラーリは、ホモロゲーションに関するレギュレーションをすり抜ける達人であり、250GTO の際にもCSIを欺いてまんまと認証を手に入れていた。だが、今回はCSIも騙されなかった。フェラーリの申請は却下され、LM はGT ではなく、スポーツプロトタイプとしてレースに出ることになった。

250LMは、第一線のレースで活躍するには重すぎたため、エンツォが期待したような無敵の王者にはなれなかった。しかしながら、スーパーカーのパイオニアを名乗るには十分すぎるほどの資格を持っていると言っていいだろう。

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ここに紹介するフェラーリ250LM、シャシーナンバー6045は、全部で32台作られたLMのうちの19台目で、きわめて複雑奇怪なヒストリーを有した車両である。本特集は9月26日に発売のオクタン日本版特別編集「Ferrari 70th」に全文が掲載されている。詳しくは本誌を御覧いただきたい。

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