【Ferrari 70th】vol.2:跳ね馬にまつわるストーリー

栄光のエンブレム

フェラーリといえば「跳ね馬」のエンブレムが思い浮かぶ。そこには興味深い物語が秘められている。

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1918年6月、イタリア空軍のエースパイロットであったフランチェスコ・バラッカ伯爵は、オーストリア軍に対する機銃掃射作戦のさなか、イタリア北部トレヴィーゾ県のモンテッロ丘陵に墜落し、死亡した。バラッカが操縦していた複葉機の機体には、自身とその飛行隊のシンボルであるカバリーノ・ランパンテ(イタリア語で「跳ね馬」の意)が描かれていた。

それからおよそ100年となる現在、バラッカの紋章は、世界で最も知名度の高いロゴとなっている。そこまでに押し上げた人物こそ、同じイタリアの偉大なるスピードの商人、エンツォ・フェラーリだ。

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バラッカの跳ね馬がエンツォに贈られたのは、1923年6月のことだ。ラヴェンナのサヴィオ・サーキットで観客を湧かせる見事な走りで優勝したエンツォは、バラッカの父親であるエンリコ伯爵の祝福を受け、パオリーナ・ビアンコリ伯爵夫人を紹介された。その後、伯爵夫人から、息子の跳ね馬を車に付ければ「幸運を運んでくれるでしょう」という提案を受けたとエンツォは回想している。

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1929年、レース仲間と囲んだディナーの席で、のちの名声へとつながるあるアイデアを思いつく。同席していた2人に、一緒にレースクラブを設立して、レースには出たいが自分の手は汚したくないというお金持ちのためにレーシングカーを用意するビジネスをやろうと持ちかけたのだ。こうして、ソチエタ・アノニマ・スクデリア・フェラーリが1929年12月1日に正式に登録された。ここで初めてフェラーリ版の跳ね馬が登場している。その場所は、新会社のメモ帳と会社が発行する雑誌『La Scuderia Ferrari』の奥付だ。初めてレーシングカーに跳ね馬が描かれたのは、1932年にスパ・フランコルシャン24時間レースでフェラーリ・アルファ8C 2300が優勝したときのことだった。

A2CAWT.jpg©TONY WILSON-BLIGH/Alamy Stock Photo

エンツォが譲り受けてから、跳ね馬にはいくつかの"改良"が施された。バラッカの跳ね馬は両脚を地面に付け、尾は太く、下を向いている。一方、フェラーリ版では片足立ちで"跳ね"ており、尾は細く、上を向いている。それ以降も、フェラーリの跳ね馬は何度となく手を加えられたが、2002年の"修正" にはほとんどの人が気づかないだろう。よく見ると、性転換手術を受けて雄馬から雌馬に変わっているのだ。

本特集は9月26日に発売のオクタン日本版特別編集「Ferrari 70th」に全文が掲載されている。詳しくは本誌を御覧いただきたい。

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