「史上最高のドライバー」の秘蔵っ子|引退記念に贈られたメルセデス・ベンツ 300SL

Tim Scott (c) 2022 Courtesy of RM Sotheby's

ファン・マヌエル・ファンジオとモータースポーツ界との親和性は計り知れないものがある。熱烈なレースファンから、歴史的、あるいは現在も積極的にモータースポーツに関わっている人々、そして単にグリッドに興味を示すカジュアルなファンまで、多くの人々に「エル・マエストロ」の愛称で親しまれるファンジオは、史上最高のドライバーであると同時に、最もカリスマ的で人気のある一人として認識されているのである。

そのうちの2つはメルセデス・ベンツのドライバーとして獲得したもので、1954年と1955年にW196を駆って2年連続優勝を果たした。25年以上前に他界したファンジオの名声は今もなお高く、ファンジオや当時のメルセデス・ベンツに関連する現存する遺物は、モータースポーツの歴史において非常に重要なものとなっている。

アルベルト・アスカリ、ジュゼッペ・ファリーナ、マイク・ホーソーン、サー・スターリング・モスなど、名だたるドライバーと肩を並べたモータースポーツの黄金時代に、ファンジオはW196、マセラティ250F、ランチア・フェラーリD50Aなど、数々のタイトル獲得を支えた名レーシングカーたちを操縦した。このメルセデス・ベンツもまた、マエストロがその伝説を築いたレーシングカーと同等の歴史を刻むにふさわしい存在であり、彼が引退後も大切に乗り継いだロードカーである。



1958年、メルセデス・ベンツからファンジオに引退記念として贈られたこのメルセデス・ベンツ 300SL ロードスターは、ファンジオの愛車のひとつであったで広く知られる。ダイムラー・ベンツからライバルのスクーデリア・フェラーリに移籍して4度目のドライバーズタイトルを獲得し、翌年にはマセラティで5度のワールドチャンピオンとなったファンジオは、ドイツの自動車メーカーとレーシングチームから高い人気を得ていたため、このプレゼントは2年後に贈られたものである。そして、ファンジオとメルセデス・ベンツの絆は変わらず、彼の47歳の誕生日(1958年)に300SLロードスターが納車された。52戦中24勝、勝率46.15%という、他の追随を許さない偉業を成し遂げたファンジオは、それからまもなくF1を引退した。また、メルセデス・ベンツでは、参戦した世界選手権GPの3分の2を制覇し、スポーツカー世界選手権での勝利に大きく貢献している。

メタリックライトブルーにクリームレザーの内装、細身のフォルムが魅力的な300SLロードスターは、ファンジオのお気に入りだった。また、同色のハードトップを装備することで、全天候型のドライブも可能。ファンジオの"秘蔵っ子"であった300SLは、いつもファンジオと共に世界を駆け巡っていた。現在示されている72,951kmの走行距離は、そのほとんどがファンジオの手になるものだという。1960年まではメルセデス・ベンツのアンバサダーとしてヨーロッパで使用していた。1960年になり、やっとファンジオの故郷であるアルゼンチンで登録を果たしている。



1963年にはファンジオがシュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ工場に一人のメカニックを派遣し、300SLのメンテナンスに必要なことをすべて学ばせた。その甲斐もあってか1960年代初頭から20年間、ファンジオはこのロードスターを使い続けることになる。
アルゼンチンでのこの車との特別な思い出は、個人的なものが多くあまりおおやけにはなっていない。ファンジオの甥であるファン・マヌエル・ファンジオ2世は、このように話している。「あの車は私の子供時代を彩り、私の中に特別な感情を呼び起こした一台です。引退後の叔父を象徴しています。それだけでなく、メルセデス・ベンツからの贈り物であることの重要性から、彼が持っていたすべての車の中で優先的な位置を占めていたのです」



ファンジオは1974年にメルセデス・ベンツ南アメリカの社長に就任、1987年には終身名誉会長に任命された。ファンジオがメルセデス・ベンツに与えた影響は、26年経った今でも、同郷のオラチオ・パガーニとメルセデス・ベンツの関係を通じて明らかである。1986年、エル・マエストロが晩年にさしかかった頃、この300SLは彼の故郷であるアルゼンチンのバルカルセにあるファン・マヌエル・ファンジオ博物館に永久保存されることになった。この300SLは、ファンジオがそのキャリアにおいて運転した数々の名車とともに、長年にわたり博物館のコレクションとして展示されてきた。


シャシー、エンジン、ボディ、ギアボックス、デファレンシャル、フードフレーム、ハードトップはマッチングナンバーのままで残されている。特に重要なのは、オリジナルのクリームレザー内装で、膝がロアダッシュとぶつかった部分など、ファンジオ自身が乗っていた跡が残っていることだ。さらに、ファンジオが装着したユニークなギアノブや、ファンジオが創設メンバーであったグランプリドライバー協会の前身であるUPPIのステッカーがインテリアに施されている
。トランクには、ファンジオがアルゼンチン横断ドライブで使用したのと同じクリーム色のスーツケースも積まれている。オープントップルーフ、魅力的なマニュアルギアボックス、直6 3リッターエンジンなど、ファンジオと同じように楽しむこともできるが、エル・マエストロへの敬意としてただ保存しておくという所有の仕方もある。決して綺麗とはいえない状態ではあるが、計り知れない価値がこの車にはある。

そして、この300SLはユニークなストーリーと素晴らしいコンディションを残したまま、2月末から開催のオークションに出品されることになった。次のオーナーはファンジオ家に次ぐ2番目の登録オーナーとなる。もう二度とファンジオのメルセデス・ベンツを手に入れることができる機会はない、「一世一代」の出来事といっても過言ではない。推定落札価格は発表されていないものの、コレクターズカーとして相当な高値が付けられることは間違いない。


Tim Scott (c) 2022 Courtesy of RM Sotheby's

オクタン日本版編集部

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