伝説のドライバー生沢徹氏への誕生日プレゼントは・・・ 世界で1台の特別なポルシェ!

Porsche Japan

“ビスポーク”。オーダーメイドを意味する言葉だが、語源は英語の「be-spoken」。それがあらわしているように、顧客とじっくり話しあいながら、好みのものへと仕立てることをいう。

スーツや靴などだけでなく、いまや自動車の世界にもさまざまなビスポークプラグラムは存在する。そうした中で、1986年より35年以上にわたってこうしたサービスを展開しているのがポルシェだ。「Porsche Exclusive Manufaktur(PEM:ポルシェエクスクルーシブマニュファクチャー)」という名称のこのプログラムは、顧客のリクエストに合わせてボディやインテリアの特別なカラーコーディネイト、パフォーマンス向上まで細やかな要望に対応し、世界に1台のポルシェモデルをつくりあげる。

2022年12月2日、ポルシェエクスペリエンスセンター東京にて、そのプログラムによって仕立てられた世界に1台の「718 ケイマン GT4 Tribute to 906」の納車式が行われた。キーを受け取ったのは、伝説のレーシングドライバー生沢徹氏だ。



ポルシェにとって生沢氏は特別な存在だ。1967年の第4回日本グランプリにて、まだ日本ではその名を知られていなかったポルシェ906(シャシーナンバー145)を駆り勝利。日産のワークスチームを、プライベーターが打ち負かした伝説の始まりだった。1960 年代から 1970 年代にかけてシルバーストン、ル・マン、ニュルブルクリンクなど世界中サーキットを転戦。日本人初のポルシェのワークスドライバーとして活躍する一方で、ポルシェ 911 をはじめ数々のレーシングカーなども所有し、ポルシェとの交流を深めていった。そしてもちろんPEMカスタマーのひとりでもある。

今年、906での歴史的な勝利から55周年、そして、生沢氏は80歳の誕生日を迎えた。この「718 ケイマン GT4 Tribute to 906」は、906と同じくミッドシップスポーツカーである718 ケイマンGT4をベースに仕立てた、ポルシェから生沢氏への粋な誕生日プレゼントなのだという。



納車式には、ドイツ本社の同部門の責任者である、アレクサンダー・ファービッグ氏が来日し、冒頭にこう話した。

「ポルシェは豊かな歴史をもったブランドです。そして生沢氏はもとより我々のお客様はカスタマーではなく、アンバサダーでありフレンドだと思っています。そうした皆様のサポートがあってこそ輝かしい歴史が紡がれてきた。このエクスクルーシブマニュファクチャーというプロジェクトは、皆様が頭の中に想い描いていることを、我々がブランドとして具現化していくものです。どういったものをつくりたいのか、そのイメージを我々に投げかけてくださることがとても重要なのです。生沢氏とは、2008年からプロジェクトを進めてきました。黄色の911タルガにはじまり997など、さまざまなスペシャルモデルを共につくりあげてきました」

ちなみにこの黄色のタルガとは、生沢氏が1969年7月22日に当時住んでいたイギリスのディーラーにて購入したナローモデルのこと。のちに手放すも40年後にその車を偶然にも発見。オリジナルの仕様へ戻そうと持ち込んだのがPEMを活用した始まりという。

ここですごいのが、ポルシェはなんと40年前の発注書を保管しており、その日付にあわせるべく、2009年7月22日にそのタルガを完成させたという。

また当時、東京、ロンドン、モナコの3拠点生活を送っていた生沢氏は、それぞれの都市用に997を3台購入。ホワイトのエクステリア、レッドのレザーインテリアという日本国旗をモチーフとした仕様をPEMによって3台仕立てた。

さらに、997タルガをベースに、ナローや930の時代にあった千鳥格子柄のシートを特注。当時は難しいとされたものの難燃性の素材を使うことで課題をクリア。それが前例となり991ベースの50周年限定車や992などでも採用されるようになったという。生沢氏は、ポルシェへの感謝の意を述べるとともに、これまで自身が体験してきたPEMに関するエピソードを披露した。

「これまで手掛けた車はずっと同じセールス担当者がついてくれていたけれど、彼が本当に素晴らしかった。本社の試作室のようなところに出向いて、いろいろ細かく注文すると、まわりにいるスタッフの表情が凍りついていくのがわかる(笑)。でも彼は一度もできないって言わなかった。関係各位ほうぼうに掛け合ってちゃんとカタチにしてくれた」

この日、納車された「718 ケイマン GT4 Tribute to 906」のボディカラーは、ただのアイボリーではなく特別に調合されたものだ。例えばヘッドレストの刺繍なども何度も試行錯誤を繰り返したものという。



「このは 1965年の12月5日、富士スピードウェイの開所式でコースを走行した人に配られた盾のレリーフをモチーフにしたものです。日本語も入っているだけに難しかったようで、何度もやりなおして、どうにか納得いくものに仕上がりました」

最後に生沢氏はこんな話をした。

「今年、906で日本グランプリに勝って55年、私自身80歳を迎え、その年に906をオマージュした車をつくってプレゼントしてくれる、そんな企業、世界中探してもどこにもありません。なぜポルシェはそれほどわたしをリスペクトしてくれるのか。それは国籍や年齢を超えて人との繋がりを大切にし、その関係を長く続けていくことの価値を知っているからに違いありません」



ポルシェエクスクルーシブマニュファクチャーは、現在、本国のみだけでなく国内でもポルシェセンター青山とポルシェセンター名古屋の2店舗がパートナーに指定されており、幅広く細やかな要望に対応することが可能という。自分だけの1台を仕立てる特別な“対話”を、ぜひ楽しみたい。



文:藤野太一 写真:ポルシェ ジャパン
Words: Octane Japan Photography: Porsche Japan

文:藤野太一

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