2023.03.11
どちらが好み? フェラーリ365GTC/4とランボルギーニ・エスパーダを乗り比べ!
ランボルギーニのエスパーダとフェラーリの365GTC4は長い間、より高貴な姉妹車の陰に隠れていた。そろそろこの2台は評価されるべきだと筆者のリチャード・ヘセルタインは主張する。「パラダイス」という言葉 ...
2022.07.14
V12エンジンを搭載した初の4人乗りランボルギーニ「エスパーダ」の魅力に迫る
2022年、ランボルギーニは約60年にわたり、アイコニックなモデルの多くに搭載された伝説の12気筒エンジン、V12の魅力を発信している。その一つが、数年間トップクラスの販売数を誇った、初の4シーターモ ...
2019.10.29
ランボルギーニ・エスパーダのエンジンリビルド計画
2019年は私にとってエンジンリビルドを行うタイミングであった。まずはじめに、ミッレ・ミリア出場前にアルファロメオ・デュエットの心臓に手を施し、その後に所有しているボートのエンジンをパワーアップさせた ...
2019.06.10
ブレーキを踏んだら真横を向いた!ランボルギーニ・エスパーダでのゾッとする思い出
1971~74年にイギリス『Motor』誌のロードテスターだったトニー・ドロンが、高速道路で経験した恐ろしい瞬間を振り返る。1972年に『Motor』で行ったランボルギーニ・エスパーダの最高速テストが ...
2019.04.21
ボロボロのランボルギーニ・エスパーダが2台セットで販売中?
ボンネットやウィンドウガラスまでもが無くなっているランボルギーニ・エスパーダがアメリカので販売されている。それも1台ではなく、2台セット(1台のみでも購入可)というなかなか無い事例である。すべての写真 ...
2019.04.17
21台のランボルギーニとイスレロが走る│猛牛のアニバーサリー・ツアー
2018年はランボルギーニ・エスパーダとイスレロがデビューしてからちょうど50年であった。それを記念して開催されたオーナーのツアーにマーク・ディクソンが参加した。それは骨の折れるような仕事ではなかった ...
2019.03.30
ランボルギーニ・エスパーダと過ごす日々│BMW i8と大きさを比較すると?
3年前、筆者は幸運にもBMW i8とランボルギーニ・エスパーダ(シリーズ2)を手に入れることができた。普段の足として乗っているのがi8、ということは想像に難しくあるまい。エスパーダは軽くレストアを施し ...
2019.03.19
ランボルギーニ・エスパーダとカウンタックを所有する│憧れか悪夢か?
ランボルギーニ・エスパーダのオーナーであるハリー・メトカフは、実はエスパーダのほかに、同じエンジン(ミウラも同様だが)を搭載するカウンタックも所有し、毎日のようにドライブを楽しんでいる。これこそ本物の ...
2019.03.16
ランボルギーニ・エスパーダ維持費との闘い│今すぐ手放すべきか?
イギリスで、1台でもなく2台でもなく3台でもなく、4台ものランボルギーニ・エスパーダの作業ができるレストアショップはほとんどないだろう。4台というのは、私が友人兼同僚のリチャード・へゼルティーンと共同 ...
2019.03.15
ランボルギーニ・エスパーダを衝動買いしたら
ランボルギーニ・エスパーダを衝動買いしたのは、2013年に行った、忘れられない長距離ドライブがきっかけだった。『オクタン122号』の取材で、私は『evo』誌編集長のハリー・メトカーフが所有する赤いエス ...
2019.01.26
ランボルギーニ・エスパーダで1000マイルを旅して│運転席からの風景とは
ランボルギーニ・エスパーダは剣のように鋭く、洗練されたデザインを持っており、今なお愛されている車の1台である。そんなエスパーダで1000マイルを旅したときのビデオをお届けする。ダッシュボードの中を細か ...
2019.01.07
ランボルギーニ・エスパーダと暮らして経験したおもしろい出来事の数々
友人のリチャードと共に私が購入し、2年半ほど所有したランボルギーニ・エスパーダが新しいオーナーのもとに渡った。決して、エスパーダが扱いづらいから手放したというわけではない。何の車を購入したのかと聞いて ...
2018.12.18
スーパーカー"ランボルギーニ・エスパーダ"の切れ味を試す3日間のロードトリップ
エスパーダは、スペイン語で「剣」を意味する。果たしてランボルギーニの4シーター・スーパーカーは、今でもグランド・ツアラーとして鋭い切れ味を保っているのだろうか? イタリアまでのロードトリップでそれを確 ...
2018.12.01
エスパーダ、イスレロ、ミウラ、カウンタック… ランボルギーニ歴代モデルが横浜に
日本の秋の定番イベントとなったランボルギーニ・デイ。3回目となる2018年は、これまでの東京都内から横浜へ場所を移しての開催となった。毎年、このイベントのためにランボルギーニ社のステファノ・ドメニカリ ...