近年のアストンマーティンは潔い。
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同ブランドを大きく変革しているのは、間違いなく新CEOのアンディ・パーマーだ。
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「Aston Martin は世界中で圧倒的な認知を誇るだけでなく、大きな成長の可能性を秘めたブランドです。我々は2020年までに、毎年ニューモデルやスペシャルエディションを出し続けていく。それがセカンド・センチュリープラン(第二世紀計画)の大きな柱です」
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1913年に設立され、既に創業から100年が過ぎ、アストンマーティンはこれからの100年を生き抜くための施策を発表した。それを着実に推し進めながら、また、ヘリテージへの畏敬を忘れることはない。"能書き不要、実行あるのみ"のブランド構築。アストンマーティンにふれると、諦めかけていた自動車熱が再発する。アストンの新たな時代の息吹を、このVANTAGEで感じていただきたい。
自然吸気モデルとしては最後のフラッグシップとなるヴァンキッシュS。新時代アストンマーティンの最初のモデルとしてデビューしたDB11。その走りは、果たしてどれほど異なるのだろうか。
GTカテゴリーを走るレーシング・ヴァンテージにインスパイアされて誕生したGT8は、間違いなくV8ヴァンテージのひとつの究極的進化形だ。その走りのパフォーマンスは、いったいどれほどのものなのだろうか。
ここで紹介するヴィニャーレのボディをまとったDB2/4は、ベルギー国王のために造られ、のちにアメリカへ渡り、うち捨てられた状態で見つかった。それが今ようやく、かつての輝きを取り戻そうとしている。
DB5が1960年代のアストンマーティンを代表する車であるならば、ヴァンテージ・スペックを持ったコンバーチブルは求めうる頂点にあるといえるだろう。それを体現した車がここにある。
第二次世界大戦以前、その最後に作られたアストンマーティン15/98。アストンマーティンがグランドツアラーへと飛躍する、大きなきっかけとなった車だ。2016年、アストンマーティン・レーシング・チームのパートナーである林氏が、埋もれていた名車に新たな息吹を与え、日本へ誘ったストーリーである。
先ごろ新しいハイパーカー計画を明らかにしたアストンマーティン。いい機会なので、こちらも金に糸目をつけずに開発されたOne-77について振り返ってみよう。
アストンマーティンとスーパーマリン・スピットファイアは、イギリスが誇る二つのアイコンであることは間違いない。DBSオーナーであり、スピットファイアの操縦桿も握るイアン・スミスは、両者には共通したものがあるという。
稀代のエアロディナミシストとアストンマーティンの夢の共演──。正式に"VALKYRIE(ヴァルキリー)"と名付けられたハイパーカーの全貌が、少しずつだが明確になりはじめてきた。
アストンマーティン初となる超高級パワーボート、AM37をテストした。成長を続けるアストンブランドのお手並みを拝見しよう。
アダム・ゴンパーツ牧師は元カーデザイナーで、イラストレーションにかけては天賦の才能を持つ。そのインスピレーションの源はクラシック・アストンだ。