連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.21 マセラティ・バードケージシリーズ Tipo60~65

T. Etoh

ロッソビアンコ博物館のピーター・カウスは、マセラティのコレクターとしても有名だったようで、館内には数多くのマセラティが展示されていた。中でもマセラティのレーシングヒストリーに欠かせないのがバードケージのニックネームを持つティーポ60から65に至る一連のモデルである。そしてここには最後にしてたった1台しか作られなかったティーポ65をはじめ、4台のバードケージが存在していたのだ。

ティーポ60/61


1952年に開発が始まり、1955年に実戦配備されたマセラティ200Sから一連の450Sに至るフロントエンジンモデルの戦闘力低下を考慮して、その後継モデルとして開発されたのがティーポ60/61であった。依然としてフロントエンジンではあったものの、そのシャシーは極めて特徴的であった。当時のレース界は重いラダーフレームからモノコックフレームあるいはバックボーンフレームへの移行期で、モノコック構造こそ最先端という時期である。しかし、マセラティは別の道を選択した。彼らが採用したのは200本以上のクロームモリブデン鋼を複雑に組み合わせた、いわゆるチューブラースペースフレームであった。その造形が如何にも鳥かごのようであったことから、バードケージのニックネームが付けられることになったのだ。結果最先端のモノコックにも負けるとも劣らない軽量で剛性の高いシャシーが出来上がった。開発を主導したのはジュリオ・アルフィエーリであった。彼は長くマセラティのエンジニアとして働いたが、アレハンドロ・デ・トマゾが嫌いだったようで、デ・トマゾがマセラティの買収に動いた1968年にその買収に反対した人物であった。その時はオルシ家が思いとどまったものの、1975年に正式に買収が成立した時、デ・トマゾが真っ先にクビにしたのがジュリオ・アルフィエーリだったと言われる。

ティーポ60

こうして完成したシャシーには200Sに使われたのと同じ2リッターDOHC4気筒ユニットが搭載された。もっともそれは大幅な改良を受けていたという。1959年に完成したティーポ60はスターリング・モスのドライブでデビュー戦で優勝。その潜在的ポテンシャルの高さが証明されると、今度はオーバーオールウィンを狙うべく、より排気量の大きな2.9リッターを搭載したマシンに変貌を遂げた。それがティーポ61である。この車を一躍有名にしたのはアメリカのCamoradi teamである。CamoradiはCasner・Motor・Racing・Divisionの頭文字を取ったもので、ル・マンで死去することになるロイド・キャズナーのチームであった。そのル・マンに登場したティーポ61は、独特な形状の大型フロントスクリーンを持ち、ル・マンのストレートを考慮したロングテールのボディを持っていた。いわゆるバードケージとして有名なモデルがこのティーポ61LMである。

ティーポ61ロングテール

ティーポ63


ティーポ63

ティーポ63

1960年にジュリオ・アルフィエーリはクーパーの触発されたのか、バードケージに大改造を施し、フロントエンジンからミッドシップにシャシーを改造する。これがティーポ63である。初期に搭載したエンジンは61同様2.9リッター直4であったが、その後V12を搭載した仕様も登場した。ただ初期の仕様はトラブルが多かったようで、それはどうやらホイールベースが短すぎることに起因していたと言われる。これはすぐさまロングホイールベース版を投入することで解決したようだが、それでも依然として極めてコンパクトなモデルであったことに変わりはなかった。ミッドシップ化に際しリアサスペンションはそれまでのドディオンから独立懸架のダブルウィッシュボーンに変更されている。

ティーポ63

ティーポ64/65


そしてこのティーポ63をベースにさらにシャシーを改造したモデルがティーポ64で、僅か2台しか作られていない。新たに作られたシャシーは”スーパーケージ”のニックネームを持つ。そしてティーポ65のデビューは1965年のことである。ティーポ64がデビューしてから3年の月日が経っていた。理由はティーポ64以後、マセラティはスポーツカーレースからの撤退を決意し、以後ロードカーの生産に専念していたのである。

しかし、マシンを必要としたマセラティ・フランスの要請に従って、急遽仕立て上げることになり、古いティーポ63のシャシーをベースに作り上げたのがこのマシンである。一説によればジュリオ・アルフィエーリはたった1か月ちょっとでこのマシンを製作したといわれる。搭載されたエンジンは5リッターのV8。元々はティーポ151/4のスペアエンジンを搭載したのである。そのパワーは430bhpに達し、バードケージが完成した当時の200bhpからは大幅にパワーアップされ、それに伴って元来バードケージが持っていた軽量、高剛性のメリットは完全に失われていた。結局このマシンは1台だけが作られてマセラティのプロトタイプレーシングカー最後のマシンとなった。

ティーポ65

ロッソビアンコには6台生産されたティーポ60のうちの1台、シャシーナンバー2465。唯一のストリームライナーボディを纏ったティーポ61、シャシーナンバー2451。7台が作られたといわれるティーポ63のうちシャシーナンバー63.010のマシン。そして唯一生産されたティーポ65は、ロータスで不慮の事故死を遂げたあのヨッヘン・リントもドライブしたマシンであった。


文:中村孝仁 写真:T. Etoh

中村孝仁

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