ロールス・ロイスのマスコット「スピリット・オブ・エクスタシー」誕生の真実



謎は謎のままでいい

そうして出来上がったのがスピリット・オブ・エクスタシーである。1911 年以降に製造されたすべてのロールス・ロイスに取り付けられることになったが、当初はそれのために顧客は余分な金を支払わなければならなかった。一方的な価格設定が改訂されるのは、それがようやく標準的パッケージに含まれることになる第二次世界大戦の後になってからだ。ロールス・ロイスはその作品に対する権利としてサイクスに30ポンドを支払ったが、彼にとってうれしい付帯事項も付いていた。それは車1 台ごとにいくら支払うという特別な契約である。彼の娘ジョーは、最近自身で確立した鋳造法で彫刻家としてスタートを切ることができたのだが、家業ともいえるビジネスが、何十年にもわたって続けられるのもこのおかげである。

サイクスは1913年にモンタギュー卿のために新作、空を飛ぶ女性像を彫った。この女性像の服は風を受けてゆるやかにふくらみ、体は横を向き、正面を向いた顔には人さし指を唇に押しつけるという姿だった。そのことからこの像は『ウィスパー』と呼ばれている。

ウィスパー

現在のモンタギュー卿のもとにはアルミニウム製の試作品があるほか、生産仕様を銀メッキして巨大にしたものも彼の自宅の客間を飾っている。本来の生産仕様は博物館に行ってシルバー・ゴーストに装着されているものを見ればよい。

ウィスパーは、ロールス・ロイスを伝説的にしたもののひとつといっていいだろう。サイクスはエリノア・ソーントンにとって信頼の置ける友人になり、彼女は彼が絵を描いたりブロンズ像を制作するのにずいぶんと協力した。1910年にロイヤル・アカデミーの夏の展示に披露した、バッカス神の巫女のようなポーズの像もそのひとつだ。こうしたエリノアの献身的な協力活動を見ると、ウィスパーのモデルは彼女だといって間違いないだろう。しかし、スピリット・オブ・エクスタシーは、エリノアではないようだ。1972年に行なわれたインタビューで、ジョー・サイクスはこれまでの神話を否定した。その理由は、その後登場するすべてのロールスを飾るフィギュアとして、ミス・ソーントンはあまりにも優美すぎた、というのである。では、真のモデルは誰なのだろう。モデルはいないのかもしれない。むしろ謎のままにしておいたほうがミステリアスでよいのかもしれない。

ケン・ブリタンは3年前に他界したが、進行中だったカタログ化する仕事や、ビューリーで制作した多くのものも含めてチャールズ・サイクスの作品に金額を付ける仕事は、ブリタンの協力者であったジェフリー・ブッカーに引き継がれた。しかし亡くなる前に、ブリタン博士は『Coming Of The Car』と題するオリジナルの石膏からブロンズのレリーフを鋳造する仕事を監修していた。それはもともと『Car Illustrated』誌の1905年号の表紙を飾るために制作されたもので、迎賓館の図書館に長いこと飾られていた。

モンタギュー卿はこれについて次のように語っている。「ブリタンは鋳造品を作っておくべきだと常々言っていました。彼は鋳造について詳しかったので、私たちは安心して彼にまかせたのです。彼は石膏がもろいということをよく知っていたのです。そして、鋳造してみたらそれまでわからなかったディテールが見えてきたんです。問題はそれをどこに掛けるべきかということでしたが、ホールに最適な場所を見つけました」

それは本当に最適な場所だった。なぜならば、故エドワード・モンタギュー卿がナショナル・モーター・ミュージアムの前身として6台のベテランカーを展示した、その場所を見下ろす位置にあるからだ。そこから2〜3ヤード離れたところに『Coming Of The Car』がキャビネットに収められている。それはまさに石膏像で作られたサイクスの自画像である。

アートを引き立てるのはストーリー

サイクスは1950年に75歳で死去。当時としては長生きしたほうかもしれないが、エリノア・ソーントンはもっと早くに生涯を終えていた。第一次大戦中の1915年12月30日、客船SSペルシャに乗船しジョン・モンタギューとインドへと向かう途中、クレタ島の近くで警告なしにドイツのUボートが発射した魚雷を受け、何百人もの乗客とともに地中海に沈んだのだ。この遭難では11人だけが生き残ったが、そのうちのひとりはモンタギューだった。

「私にはサイクスとの思い出がありませんし、実際会ったことはないと思います」モンタギュー卿はそう切り出すと、「父は娘エリーナといい関係を構築しました。私たちもなにかしら彼女から影響を受けています。私は、ブロンズの像にそれほどの思い入れはありません。細部の違いもよくわかりませんし、暗くて荘厳に見えるだけです。私としては大金を投じて買うことはしないでしょうが、すばらしい芸術品であることはわかります。なぜならそこに物語があるからで、それこそがここで収蔵するなによりの理由だと思うのです」

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA
Words:Giles Chapman Photography:Simon Clay

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