ロールス・ロイスのマスコット「スピリット・オブ・エクスタシー」誕生の真実



見いだされた才能

サイクスは1875年、質素な生活環境のもとに生まれた。彼の父とおじは画家であり装飾家であったが、それでは食べていけないので、壁の装飾や壁紙を貼る職人として生計を立てていた。サイクスはまず父の工房で徒弟として仕込まれたのち、1898年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで奨学金を勝ち取る。すでに画家、彫刻家の両面で傑出した才能の一端を見せていたのである。卒業後は、コマーシャルベースの仕事にも彼らしさを表現できるようになっていた。 物を見る目のあるジョン・モンタギューはサイクスがロンドンに来た早々から彼の才能に気づき、すぐさまビューリー修道院のために3枚続きの宗教的絵画を描かせた。修道院はハンプシャーの広大な私有地にあって、彼はそこの院長でもあったのだ。サイクスへの2回目の仕事は、大邸宅の外壁を飾る聖母子像だった。その後何年のもの間、気づかれないまま時が過ぎる、あの像である。

1902年にモンタギューは、週刊の自動車誌『Car Illustrated』を発行する。ロンドンに拠点を置き、自動車人気の波に乗って第二次世界大戦が勃発するまで順調な売り上げを示した。そして、しばしば発行される特別号の表紙は、サイクスがスピードとパワーがもたらす喜びを絵でアーティスティックに表現した。原画のいくつかはビューリーで大事に保管されている。たとえば、1909年のクリスマス特集号は、薄暮の川の上を飛行機が滑空する絵柄である。モンタギュー家の個人的なコレクションにはほかにもサイクスの絵があって、中でも『ビジョン』と題された1913年の作品は、油と光が幻想的な世界を作り上げる素晴らしいものだ。「たしかに彼は多才でした」とモンタギュー卿は語る。「私は絵が上手な人を尊敬します。彼は『Car Illustrated』のために図面も描いたのですが、それは絵画や彫刻に勝るとも劣らない素晴らしい出来映えでした。彼の絵にテーマを付けるとすれば、エドワード7世時代の新古典主義の世界といってよいのではないかと思います。彼の絵から私はものすごく大きな喜びを受け取るんです」

サイクスはモンタギューのために旅行者の守護天使である聖クリストファーを4インチ・サイズのブロンズ像で制作した。そして、それはモンタギューが所有する1899 年ダイムラー12HP のダッシュボードの上に置かれた。車そのものも、宮殿の前庭に駐車するためにウェストミンスター寺院の入り口を横切るのを許された初めての自動車という特別なものだった。 20世紀における最初の10年、とくに初期に作られた車はどれも味気がないものばかりだったので、ほとんどのマスコットはラジエターの突端に載せられて区別できるようにされた。中には警官やお化けのような顔の人、あるいはグロテスクな人物だったりした。

ロールス・ロイスは品のないマスコットが車を飾ることを腹立たしく思っていた。会社の常務クロード・ジョンソンはロールス・ロイスの顧客であるモンタギュー卿に相談を持ちかけると、ふたりはすぐに行動を起こした。モンタギューは本物の芸術作品が必要であることを提唱。そして、もちろん、それにふさわしいものを作ることができるのはサイクスしかいないこともわかっていた。

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