値段をはるかに超越したスーパーカーが目を覚ます│ポルシェ911 ターボ

Photography:George Bamford

イギリスでの911ターボといえば、1980年代のロンドン金融街(シティ)で大儲けしている金融マンが乗っていた車、そう揶揄されてきた。実はそうしたネガティブなレッテルとはまったく異なる優れた車である。

すべての写真を見る

偉大なるプロトタイプ911ターボが初めて姿を現したのは、1973年のフランクフルトショーでのことだった。大きく張り出したホイールアーチ、深いフロントスポイラー、リアウィングに巨大な"ホエールテール"と、まさにモンスターだった。ポルシェゆえにこのスタイルもすべて理に適ったもので、同時に発表された2.1リッターのマルティニRSRターボという純レーシングカーから派生したロードカーだった。1970年代的な"Turbo"の大きなロゴを脇腹に入れた911ターボは、スポーツカー乗りの根源的な欲望である"スピード" を叶えてくれる車として、すぐに注目を集めた。
 
当時、世界は石油危機の真っ直中にあり、BMW2002ターボは生産中止に追い込まれ、メルセデス・ベンツ6.9の登場も遅れた。ドイツでは、100km/hの速度制限があらゆる場所に適用された。この時、ポルシェを率いていたのはエンジニアのエルンスト・フールマンだった。当時ポルシェは、1100bhpという強大なパワーを発揮する917/30でCan-Amシリーズを席巻しており、この技術を用いて911のターボシステムを開発しようと考えた。そのアイデアは、意外にも、財務担当役員だったハインツ・ブランディツキの支持を得た。ブランディツキは淡々と「これほど優れた製品を発売することができないのなら、スポーツカービジネスから撤退すべきだ」と述べたという。
 
しかし、911ターボの位置づけに関しては、社内で激論となった。マーケティング部は、内装をストリップダウンして最小限の装備で安く売れる車にしようレースから生まれたロードカー石油危機の渦中での船出911 Turboと主張した。これに対してフールマンはフル装備にして、ポルシェ全車種のトップに君臨するフラッグシップモデルにしようと考え、結局、社内もこれに賛同した。
 


1974年のパリ・モーターショーで、ポルシェは自社初のスーパーカー、量産型911ターボを発表した。社内ではタイプ930と呼ばれ、930ターボの名で販売された地域もある。出力260bhp、速度計が300km/hまで刻まれているという破格の911ターボは、すぐにヒット作となり、供給が追いつかないほどだった。派手な格子柄とレザーのインテリア、毛足の長いカーペット、パワーウインドウ、オプションのエアコンといった豪華な内装に加えて、ワイルドな感じのするKKK製ターボチャージャーを組み込んだエンジン。この新しいスーパーカーにセレブリティーたち飛びついた。
 
発表当時、911ターボの価格は高く通常の911の2倍もした。フールマンの願いは500台ほど販売することだったが、それは完全な誤算に終わり、瞬く間に1000台が売れた。やがて、イギリスの報道陣が遅ればせながら試乗する機会を得ると、皆、飛び上がって驚いた。『Autocar』誌は「桁外れにエキサイティングな自動車」と記し、『Motor』誌は「手に入る最良のドライビングマシーン」と絶賛した。1975年に911ターボがアメリカで発売されると、『Car and Driver』誌はこう伝えた。「ポルシェの中のパンサー。公道を走るレーシングカーであり、フェラーリやランボルギーニにもできないやり方で、ドライバーを確実に路上の王者にしてくれる」
 
こうして振り返ってみると、最近まで、911ターボが多くの"911純粋主義者" から軽んじられてきたことが不思議に思える。イギリスではビッグバンパー以前の911なら、まずまずのものでも4万ポンドは下らないというのに、最高のターボでさえその半額という状態が長年続いてきた。ここに紹介した車は、英国のポルシェクラブ・コンクールで最優秀賞を取り、走行距離は6万9000マイル(11万1000km)だが、それがほんの数年前には、たったの2万ポンドで売りに出ていたのだ。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.)  Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Robert Coucher

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事