“新しいのに懐かしい”日本の原風景に出会う、アストンマーティンDBX707の旅

Ken TAKAYANAGI

日本のルレ・エ・シャトーをアストンマーティンで巡る旅。これは1970年代から続くフランスの審美眼により認定された、日本の風土に根差した個性的な宿を、イギリスのプライドとも言えるマシンで訪ねるという、これ以上ないラグジュアリーなドライブの提案だ。その10軒めとなる目的地は、前回訪ねた『天空の森』を創った田島健夫代表が最初に手がけた九州を代表する名館、『忘れの里 雅叙苑』。

忘れの里。
なんとも不思議な語感を伴うが、「忘れの里」とは果たして”忘れ去られてしまった郷里”なのか、”忘れることができない場所”を指しているのか。

『忘れの里 雅叙苑』は、のちに『天空の森』を創業する当時まだ20代だった頃の田島健夫氏によって1970年に創業される。場所は鹿児島、妙見温泉地区。地域を流れる天降川(あもりがわ)に沿って、古民家が密集した「集落」のような場所が“忘れの里”だ。グランドラインからは二階分ほど低い位置にあり、車だと見落としてしまうような川の瀬に建つ。アストンマーティンDBX707を停車させ、覗き込んでみると苔に覆われた藁葺き屋根の建屋が何棟か見える。どこからともなく焚き火の匂いが漂ってくる。









ともすると見落としてしまいそうな『忘れの里 雅叙苑』へのエントランス。車がすれ違うことが難しい細道を降りた先に忘れの里はひっそりとある。あたりが苔に覆われているのは、旅館脇を流れる天降川(あもりがわ)のおかげか。

創業当時の1970年頃といえば、日本は年10%を超える高度経済成長期の後期にあたり、急速に近代化を果たしていた時代だ。自動車の普及、新幹線ほか公共インフラの拡充もあって、空前の国内旅行ブームが沸き起こっていた。ホテルは大型化し、団体旅行を受け入れるための大型浴場や宴会場が必須の設備とされ、限りなくオートメーションなシステムが欲された。

そんな時代に『忘れの里 雅叙苑』は開業している。団体客を受け入れられる大型バスの駐車場も、宴会場も、大浴場もない、二階建て5部屋の小さな宿の運営は、開業からしばらくは苦労の連続だったそうだ。状況が激変するのは数年後に近隣の農家から譲り受けた茅葺き屋根の家を移築した頃から。さらに当時としては画期的とも言える全室内風呂を完備するようになると、その人気はさらに増した。地産地消を前提とした料理も話題になった。いくつかのインタビューで田島代表は「都会へ人が集中するのは仕方ない。けれども、帰れる場所は用意しおいてあげないといけない」「もの凄い時代のスピードからふと逃れたくなる時がすぐに来ると考えた」という類の話をされているが、当時としては相当特異な発想だったに違いない。











雅叙苑で供される野菜や食材の多くは、あの『天空の森』の畑で採れたもの。水屋で鮮度を保たれた野菜はさて、どんな料理になるのだろう。レセプション横には年中切れることなく薪がくべられる。

現在の雅叙苑の礎にもなった、20畳を優に超える茅葺き屋根を誇る「いちょうの間」でお食事をいただいた。室内は燻煙によりいぶされた香りに満ちていて、全体に満遍なくすすけている。屋根の最頂部は視認できないほどに暗く、高い。当然囲炉裏も用意されているのだが、それらを眺めていると、つい日本人の生活と建築の知恵に引き込まれてしまい、時間を忘れてしまう。「素晴らしいと言っていただけるのはありがたいのですが、県内ではもう茅の手配も職人さんの手配も困難になりつつあります」ということだそうだが、技術伝承のためにもこうして茅葺き屋根を維持する意味はあるという。

興味深いのはコロナ禍以前、およそ50%近くに達しようとしていた外国人ゲストから、しばしば「懐かしい」という言葉が聞かれたという話。日本人の我々からしてもすでに実生活の中での記憶には存在しないようなこの空間に、外国からのゲストが同様の感覚を覚えるのは、どこか共通する人間のルーツのようなものを感じるからか、どうか。









「建湯」と名付けられた巨石をくり抜いて作られた岩風呂も雅叙苑を象徴する施設、天井までは相当の高さとなる茅葺き屋根には、それを作った人の息吹がする。生きることの素朴さが伝わるようだ。

土と水と火。自然を構成するこの3つがここではとても近い存在だ。敷地内のところどころに舗装されていない土の小道を残し、朝に収穫された野菜は、湧水によって洗われ、保管される。レセプションの隣には年中消えることなく囲炉裏に薪が焼べられ、談笑の場となっている。土と水と火という人間の生活の礎となるファクターが目の前にあることが、意図せずにして海外からのゲストにも共通の魅力となっているのではないか。

創業から10数年を経た頃には雅叙苑は日本有数の人気旅館に成長する。古民家を移築した懐かしい風景、誰にも干渉されることなく湯を楽しめる全室露天風呂完備、レイトチェックアウトなど、現代の人気温泉旅館のフォーマットを作ったのはここ雅叙苑と言われる。ただし、そのあまりにも強いフォーマットは、まさにフォーマットとして瞬く間に全国に広まることになったという。







上の写真は秋に完成したばかりの和室スイート「空(そら)」。二つの部屋をひとつに繋げてしまったという豪快な広さ。2面ガラス張りから見えるのは緑だけだ。

田島代表曰く「雅叙苑は誰もが心に描く日本の原風景です。だから誰しもの心に響いたんだと思います。一方で誰もが思い描くものは真似しやすかった。コモディティ化しやすかったのも事実だったんです。そこで次は誰にも真似できない場所を作ろうと思ったんですよ」。『天空の森』はこうして誕生することになる。

アストンマーティンDBX707にとって福岡から霧島までの300kmという距離は大した距離ではない。ましてや、ドライブの目的地が時代を越える価値を再確認できる宿であったらどうだろう。九州のアストンマーティンオーナーが羨ましいばかりだ。





文:前田陽一郎 写真:高柳健 協力:アストンマーティン福岡
Words: Yoichiro MAEDA Photography: Ken TAKAYANAGI
Supported: ASTON MARTIN FUKUOKA


妙見温泉 忘れの里 雅叙苑
〒899-6507鹿児島県霧島市牧園町宿窪田4230
(鹿児島空港より15分ほど、福岡空港より九州自動車道で300km約240分)
TEL:0995-77-2114
受付時間 9:00〜22:00 年中無休


アストンマーティン DBX707
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=5039×1998×1680mm
ホイールベース:3060mm
車重:2245kg(乾燥重量)
乗車定員:5名
駆動方式:四輪駆動
総排気量:3982cc
エンジン:4リッターV8 DOHC 32バルブ ターボ
トランスミッション:9段AT
最高出力:707PS(520kW) / 4500rpm
最大トルク:900Nm / 2600~4500rpm
価格:3119万円/撮影車両


アストンマーティン福岡ショールーム
〒812-0063 福岡県福岡市東区原田4−30−8
TEL:092-611-6888
営業時間:10:00〜19:00(日曜日18:00)
定休日:水曜日(夏季休暇・年末年始を除く)

文:前田陽一郎

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