一目惚れしたアストンマーティン「GO1203」との、運命的な出会い

Hidehiro TANAKA


多くの人々の人生を変えた「GO1203」


いよいよ本リポートの主役をブランドから個体に、そしてそれにまつわる人々へと落とし込んで物語のひとつを締めくくろう。

取材車両は英国時代のナンバープレートであった「GO1203」で個体識別されるアストンマーティン11/2リットル・インターナショナル(シャシー#K085・エンジン#K086)で、1930年式である。この一台の新車時におけるヒストリーをここでは触れない。きっと素晴らしい物語があったに違いない。これから語る物語はGO1203の第二、第三の“車生”における美しい物語であり、名車というものは必ずそれに相応しいオーナーの元で、どんなに古くなっても未来へと語り継がれるべき物語を生み出すという、ある種の理(ことわり)を教えてくれるものである。GO1203は、数多の歴史的名車たちと同様に、多くの人々に大なり小なりの影響を与えたのみならず、人生さえも変えてきた。



二つ目の大戦のあいだGO1203は倉庫の片隅で惰眠を貪るほかなかった。10年以上も前の中古車を趣味で走らせていい時代ではなかったのだ。長い戦いが集結した47年にレスリー・マーがGO1203をゆすり起こす。まともに走る状態ではなかったが、優秀な整備工であった友人のデリック・エドワーズにメンテナンスを依頼。50年にレスリーは別のアストンマーティンも手に入れていて、デリックはレスリーの二台のアストンを整備する交換条件としてインターナショナルでレースに出ることになったという。

50年代の半ば、彼らは多くのレースやヒルクライムに出場したが、やがてレスリーはレースに興味をなくしてしまい、65年にとあるオークションにてGO1203を売り払ってしまう。 それを購入したのが日本のヴィンテージ愛好家の草分けというべき人物、高橋哲彌氏であった。氏はしばらくヨーロッパでGO1203を楽しんだのちにいつしか日本へと持ち帰ったのだが、そこからしばらく二度目の、今度は少し長めの眠りにつく。





デリックによって50年代のレースシーンに通用するようモディファイされていたGO1203はヴィンテージアストンを代表する個体として実に多くのメディアに取り上げられていた。マグカップやソーサーなど美しいイラストレーションを使ったグッズも作られていたようだ。実物を拝見したが、特徴的な個体にGO1203のナンバーもしっかりと、そしてどこか誇らしげに描かれていた。

記録が残っていること。ブランドが老舗として崇められる所以の一つだ。さまざまなレースやコンテストに出場し活躍したマシンだったからだろう、イラスト付きのグッズが数多く存在する。メディアにもよく登場し、40年ほど前に現オーナー・湯川晃宏さんの心を奪った。

今から40年ほど前に雑誌でこのGO1203を見つけ、一目惚れした男がいた。車好きではあったけれど、流行りを追うのではなく個性的な車に惹かれるという男だった。そんな彼の心をGO1203は鷲掴みにした。いつしか自分もこんなヴィンテージカーに乗る資格のある男になりたい。キャッシュカードの暗証番号を1203 にして、彼は心に誓った。

前オーナー・高橋哲彌氏の熱い思いを実感できる書籍。氏が愛車のためだけに出版した。これこそ読み継がれるべき物語であろう。

男の名を湯川晃宏という。何十台もの車を乗り継いだ湯川さんだったが、1980~90年代に開催されていた「六甲モンテミリア」を目の当たりにして、一気にヴィンテージカーへの興味が蘇ってきた。

いつかは出てみたい。湯川さんの思いが叶ったのは2001年のポンテペルレで、マシンは MG TDだった。2004年にジャガーXK120で国内最高峰のイベント「ラフェスタミッレミリア」に初出場を果たすと、そのままの勢いで本国イタリアの「ミッレミリア」にも参戦する。以来、氏は毎年のようにラフェスタに参戦、イタリアへも6、7回出場した。

MG TDで出場した初ラリーでは、六甲山へと向かう登り道で立ち往生を経験したが、実はその場所こそが後年、週末のガレーヂ用に購入した別荘の前であったという。数年前に完成し、ご覧のような城=ガレーヂを築いた。ある日、湯川さんの娘が友達を別荘に連れてきた。その友人はガレーヂに飾られたミッレミリアの大きな旗を一瞥してこう告げる。「うちの会社の会長さんも古い車が大好きですよ」。その会長こそが高橋哲彌氏であった。

知己を得た湯川さんは高橋さんのコレクションにGO1203があると知って驚愕する。憧れ続けたヴィンテージカーが現実のものとして突然に目の前に現れたのだから当然だ。一台の個性的な車が長い時間をかけてもたらした因縁の結末であった。





湯川氏の元へとやってきたGO1203は「壊れることさえ楽しい」という湯川氏の元で今順調に、時には故障に見舞われつつ、順調に昔のパフォーマンスを取り戻しつつある。ある時、国道を元気いっぱいに走るGO1203を対向車線から目撃した高橋さんは大いに喜ばれたらしい。

現オーナーの好みに併せて小物類を付け加え、国内ラリー参戦用に仕上げられつつある。ナンバープレートはもちろん1203 である。

90年以上も前に生産された車の、また新しい物語が始まった。


文:西川 淳 写真:タナカヒデヒロ
Words:Jun NISHIKAWA Photography:Hidehiro TANAKA

西川 淳

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事