全部知ってる? ランボルギーニが生み出したレアモデル5選

Lamborghini

今年60周年を迎えるランボルギーニ社が、ワンオフモデル(コンセプトカー含む)や、限定車の「フュー・オフ(Few Off)」を振り返るプレスリリースを出した。その中から、筆者が独断と偏見でランボルギーニ社の気になる車を振り返ってみることにしよう。

「ランボルギーニ」と聞いてすぐに思い浮かべるのは、ミウラやカウンタックかもしれない。日本では漫画「サーキットの狼」の影響が、そして日本以外では映画「キャノンボール」が絶大な影響を及ぼしたと思われる。1970年代生まれなら、子供部屋にはミウラやカウンタックのポスターが貼られていた家庭も多かったのでは?

350GTV




そして、ついつい忘れがちなのがランボルギーニ初の市販車がミウラではなく「350GT」であった、ということかもしれない。そんな350GTのプロトタイプ(1台のみ生産)であったのが、350GTVである。チーフエンジニアを務めたのはジャンパオロ・ダラーラ、アシスタントにはパオロ・スタンツァーニ、テストドライバーはボブ・ウォレス、エンジンと初期のシャシーを手掛けたのはジオット・ビッザリーニ(1963年10月のイタリア・トリノショーで350GTVが披露される前に独立)、車両デザインはフランコ・スカリオーネと自動車史におけるオールスターが勢ぞろいしていた。各人の偉業については、追って別な機会に掘り下げることにしよう。

1963年にビッザリーニが開発した3.5リッターV12エンジンは長年、ランボルギーニのV12気筒エンジンのベースとなり、ムルシエラゴに至るまでファインチューンされながら受け継がれてきた。もっとも、当初はレースエンジンとしての性格が色濃く、GTカーである350GTに搭載するにあたって“デチューン”が施されたという。カロッツェリアは350GTのデビューを歓迎し、複数のスタディモデルがモーターショーにお目見えした。1965年、ロンドンモーターショーでザガートが「3500GTZ」を、トリノモーターショーではトゥーリングがオープンカー「350GTS」を披露した。奇遇にも両社、2台ずつ生産したそうだ。

3500GTZ

350GTS

ミウラロードスター



1968年のブリュッセル・モーターショーでお目見えした、ミウラロードスター(「ミウラLP400ロードスター」が正式名称だったはずだがランボルギーニ社のプレスリリースでは、こう呼ぶ)はベルトーネが手掛けたワンオフだった。ランボルギーニは当時、エスパーダやウラッコの開発に経営資源を投下していたからか、技術的にランボルギーニ社の“基準”に満たすことが難しかったのか、市販化を望む声が大きかったにもかかわらず、コンセプトモデルで終わってしまった。

カウンタック・エボルツィオーネ




一般公開されることはなかったが、1987年にコンセプトカーとして誕生した「カウンタック・エボルツィオーネ」もランボルギーニの歴史を語る上で欠かせない一台だろう。1982年から複合素材の研究・開発の部門を開設したランボルギーニだったが、社内人事ですったもんだがあり、1985年にアッティリオ・マッシーニが新たに部門の責任者になった。マッシーニ含め総勢4名で研究・開発に取り組むことに。その一員がパガーニの創設者、オラチオ・パガーニであった。

パガーニはカーボン素材の成型に必要なオートクレーブ(圧力容器)の購入を経営陣へ説得を試みるも、“まだフェラーリがカーボンファイバーを導入していないからウチには必要ない”と一蹴されたとか。そこでパガーニは銀行へ出向き、ローンを組み、自腹でオートクレーブを購入したという。そして、完成させたのがカウンタック・エボルツィオーネだったのだ。カウンタックよりも約400㎏軽かった、というからカーボンファイバーによる軽量化は目を見張るものがあった。

その後、フェラーリがカーボンファイバーを多用したF40を投入した1990年代初頭、パガーニは自身が所有するオートクレーブを文字通り運び出し、ランボルギーニを去った。なお、このオートクレーブは未だ現役としてパガーニ社にて使われているそうだ。

P132




また、1985年から開発が始まったのは、カウンタックの後継車であった。ランボルギーニのプレスリリースでは複数のデザイナーに声をかけた、とあるが…、コードネーム「P132」を手掛けたのはカウンタックの生みの親、マルチェッロ・ガンディーニだった。クライスラー傘下に収まるまでに2台の試作車を手掛け、開発の継続を希望した同社は社内のデザイナーに“修正”させてディアブロが誕生したそうだ。なお、マルチェッロ・ガンディーニとしてはP132のデザインをチゼータ-モロダーV16Tにて実現させた、とも言われている。

カント




最後にご紹介したいのは、個人的に気になっている「カント」である。ディアブロの後継車としてザガートがデザインしたもので、マルチェッロ・ガンディーニが手掛けたものがボツ(アコスタ)になった翌年、1997年に登場している。1998年からアウディ傘下に収まったランボルギーニは当時VW総帥、フェルディナント・ピエヒが直接指揮を下していたそうだ。どうしてもカントのデザインを気に入らなかったピエヒは結局、1999年のジュネーブ・モーターショーにて公開予定だったカントを白紙に戻した。

個人的にカントが気になっているのは…、フロントヘッドライトはパガーニ・ゾンダを、テールランプはケーニグゼグ・アゲーラを連想してしまうからだ。真似した云々を指摘したいわけではなく、各パーツのデザインとしては優れたものだったのではないか、と思わせてくれるからだ。

それにしても故ピエヒ会長、カントが気に入らなかった理由が「アグレッシブさが足りない」ってセンス…、尊敬してしまう。


文:古賀貴司(自動車王国) Words: Takashi KOGA (carkingdom)

古賀貴司(自動車王国)

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