連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.22 ポルシェ908シリーズ

T. Etoh

1968年にFIAはグループ6のスポーツカープロトタイプカテゴリーのレギュレーションを変更し、最大排気量を3リッターに定めた。この結果ポルシェはレギュレーション一杯の3リッターエンジンを開発することになった。それまでの771/1もしくは771/0と呼ばれた2.2リッターフラット8から、同じ構造ながら908の名を持つ3リッターフラット8が誕生する。

1968年シーズンは同時に生産台数が25台を超えるスポーツカーカテゴリーが共存し、ポルシェはこのカテゴリーにもマシンを送り込むべく917の開発を進めるのだが、68年は間に合わず、908がプロトタイプカテゴリーに投入された。しかし、その年のル・マン24時間はスポーツカーカテゴリーのフォードGT40の後塵を拝することになる。ポルシェは2位に入るのだが、皮肉にもその2位に入ったマシンは排気量の小さな771/01エンジンを搭載した907であった。

翌1969年は完成なった917をスポーツカーカテゴリーに。そして908をプロトタイプカテゴリーにエントリーしてル・マンに送り込んだ。FIAが再びレギュレーションを変更し、プロトタイプにオープン2シーターの参加を許可したことで、ポルシェは前年のロングテールクーペに加え、車両重量を100kgほど軽減できるスパイダーボディのマシンも送り込んだ。しかしル・マンでの結果はまたしても立ちはだかるフォードの前に敗れ去るのである。

100kg軽減されたスパイダーは908/02Kスパイダーと呼ばれた。それまでのスチール製スペースフレームからアルミ製スペースフレームに変えたことで軽量化を実現した。このマシンは1969年の日本グランプリにも登場し、田中健次郎/ハンスヘル・マンのドライブで参戦、7位入賞を果たしている。アルミフレームは内部を加圧されていて、エアプレッシャーゲージを装備することでシャシーにクラックが入った時のチェック機能を果たしていたという。ル・マンでは勝てなかったものの、スパイダーの908はハイダウンフォースを必要とするコースでは滅法強かった。この年4月のブランズハッチを皮切りに優勝街道を突っ走り、タルガフローリオでは1位~4位を独占、ニュルブルクリンクでは1位~5位を独占と向かうところ敵なしであった。

そのニュルブルクリンクに初めて姿を現したのが、フルンダーのニックネームを持つ908/02である。基本的にボディワーク以外はKスパイダーと同一である。ただしシャシーナンバーには怪がある。Kスパイダーは908/02で始まるシャシーナンバーを持っていた。そしてフルンダーボディの初期のシャシーナンバーも908/02〇〇〇となっているのだが、ほとんどのフルンダーボディを持つシャシーナンバーは単に908/〇〇〇とされている。その理由は本来は908/02〇〇〇のシャシーナンバーが正しいのだが、実はロングテールのクーペバーションなどから作り替えられたフルンダーボディの908が存在することによるらしい。

908のシャシーは000から031まで。そして908/02のシャシーナンバーは001から024まで存在するが、リナンバーされたものが複数あり、実際に生産された908の数はクーペが32台。スパイダーが28台とされている。その中にはクーペからスパイダーに転換されたものが存在するということである。フルンダーボディの908は風戸裕が購入し日本でもレースを戦った。シャシーナンバーは908/024と言われる。

1970年になって、917が主力マシンとなったポルシェにおいて、908の役割は終えたと思われたが、相変わらずダウンフォースが必要かつツィスティーなサーキットでは、908の方が強力で、引き続き改良が続けられていた。そして更なる軽量化を断行したマシンが908/03である。軽量に作る術は、1967年の909ベルクスパイダーで獲得していた。当時は2リッターフラット8を搭載したマシンにもかかわらず、車重は僅か385kgと驚異的な軽量を誇ったのが909である。908/03の車重も僅か545kg(プロトタイプ)に収まった。シャシーはさらなる軽量化が施され、チタニウムを含む軽量な素材が使われていた。因みに909ベルクスパイダーにおいてはスチール素材が使われていない。908/03の薄型軽量なボディカウルは12kgしかなく、その軽量化が功を奏してエンジンパワーを引き下げ、耐久性を重視した。トランスミッションも6速ではなく5速を採用。エンジン背後にファイナルとクラッチを持ち、その後ろにトランスミッションを搭載したレイアウトで、ドライバーは足がフロントタイヤの中心よりも前に伸びていたという。目指すのはタルガフローリオとニュルブルクリンクのみ。この2レースを見事に勝利することで、ポルシェはこの年のワールドスポーツカーチャンピオンシップを獲得する。

ポルシェ908/03

だが、1971年をもってポルシェは世界選手権のレースからの撤退を表明。合計13台が作られた908/03はその多くがプライベートユーザーに売却され、彼らの手によって引き続きレースを継続することになったのである。

そしてこの908/03のうち4台に2.1リッターターボエンジンを搭載し、1975年以降もレースを続けた。ロッソビアンコの公式カタログブックにはポルシェ908/04と紹介されているが本来正しくなく、正確な名称は無いようで、このターボエンジンを搭載したプライベートチームがエントリーリストに908/6や908/3ターボなどと書き込んでいたそうだ。そして一度はレースから身を引いたポルシェが、このターボモデルの成功を見て936を開発し再びル・マンで2年連続の美酒を味わうことになる。

ポルシェ908/3ターボ

ロッソビアンコにはフルンダーの908/02、バーチカルフィンの付いた71年仕様の908/03、それにターボエンジンを搭載した908/3が存在する。このうち908/02は2台存在するが、このうち1台にはエンジンが搭載されていない。またシャシーナンバーが不明なため、レース戦績などは不明である。

この車にはエンジンが搭載されていない。


文:中村孝仁 写真:T. Etoh

中村孝仁

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