古きよき60年代ポンティアック・ボンネビルで広大なオーストラリアの原野を走る

ポンティアック・ボンネビル



トラブルと書いて邂逅と読む
とうとう直線路に別れを告げて、シルバートンへと曲がるところまでやってきた。かつて銀の鉱山で栄え、いくつものホテルとにぎやかな駅のあった町だ。だが、銀が採れなくなると、列車もホテルも消えた。唯一残っているのがシルバートンホテルである。現在は、宿泊施設はなくバーだけになっており、様々な映画やCMの撮影に使われて有名になった。そう、映画『マッドマックス2』のロケ地でもある。

そこで一杯楽しんだあと、うち捨てられた線路沿いの小道を辿ってみた。粗い赤土の上を走っても、大きなシャシーはガタついたりきしんだりすることなく、滑るように突き進む。

線路脇にはインダストリアルの古い看板が残っていた。周囲にはカンガルーや野生馬の住む砂漠が広がる。デジタル時代を彷彿とさせるものは何ひとつ見当たらない。そしてボンネビルは懐かしい故郷に帰ってきたかのように風景に溶け込んだ。

トランクからテントを引っ張り出す。幅1.85m、奥行き1.9mのどでかいトランクには、ほかにも寝袋が2つ、マットレス、バックパック、ギター、クールボックス、キャンプ用コンロや道具、スペアタイヤ、燃料タンク、水のタンク、さらに細々としたもの2箱を入れても、まだスペースが残っている。試してはいないが、標準サイズの死体ならば4人分くらいは、体を伸ばした姿勢で帽子をかぶっていたとしても楽に入ることだろう。

翌日は東へと戻った。果たして右フロントのホイールベアリングが焼き付きを起こしたのはその時だった。1000km以上にわたってへき地や砂漠の中を走り込んできたが、幸運にも故障したのは数少ない街路であった。その街の名は皮肉にもブロークン・ヒル。ただし、ほんの2kmも走ったところに良さそうな整備工場を見付けることができた。店先に1965年ダッジ・フェニックスと1956年のプリマス製の霊柩車が停まっていたのだ。

オーナーであるランドール氏とは、すぐに意気投合した。彼は、GMがボンネビルのホイールベアリングにホールデン・コモドア(オーストラリアで最も一般的な車)と同じものを使っていることをすぐ見抜いた。私がこうして原稿をタイプしている間に、新しいベアリングを2組装着してくれている。

さぁ、もうすぐ家路につけそうだ。人はこれを「故障」と言うのだろうが、私は新しい友人との「出会い」と呼びたい。そんなゆったりとした気分にさせてくれるのも、この車が理想のアメリカンカーだからに違いない。


ホイールベアリングのトラブルなど、ボンネビルにとってはささいな不都合に過ぎない


目的地に到着。シルバートンホテルでビールを1杯引っかける。そして夜はテントで過ごすのだ

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編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation:Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Marc Obrowski

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