究極のランチア ストラトス レプリカ日本初公開│ストラトスは手の届かない存在なのか?

1970年、イタリア・トリノサロンで衝撃の1台が姿を現した。その正体はベルトーネのチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニの手によってデザインされたストラトス・ゼロだ。今となっては、ガンディーニの作品を代表する車の1つであり、コンクールデレガンスにも姿を現し人々の注目を集めている。しかし、発表された当時は否定的意見と無関心が入り混じっていたという。その奇抜さだけで十分に魅力的だったが、長続きするような種類のものではなく、大多数の人にとっては、ただ単に刺激的な作品にしか過ぎなかったのである。誰一人として市販化されるとは考えていなかった。



翌年1971年にストラトスHFが登場し、プロトタイプでラリーに参戦していた。1974年に市販モデルの最終型ストラトスがジュネーブで発表された。そこからストラトスは、1976年までランチアに世界ラリー選手権3連覇をもたらしたのであった。ガンディーニが手がけた直線的で美しいボディは受け継がれ、
フェラーリ・エンジンが搭載された。ラリーのために生まれた車であるが、現代でもそのデザイン性も含め、根強いファンを集めている。市販モデルは約500台製造されたと言われている。





"ピエロ・ストラトス" と呼ばれる名メカニック、ピエロ・マリオ・スプリアーノは、1976年モンテカルロラリーでムナーリのギアボックスを記録的なタイムで修理した男である。彼は正式なランチアの社員ではなかったが、その経験は他に代えがたいものであったという。そして1977年のモンテカルロを思い出し、こう語るのだ。
「私たちは幸運だった。ストラトスは簡潔で信頼性が高く、通常の作業をするだけでよかったからだ。今振り返ってみて惜しいことをしたと思うのはふたつだけ。ひとつはあのイベントで写真を撮らなかったこと。私たちにとっては、あのモンテカルロも、いつもと同じ仕事の日だったのだ。もうひとつは1984 年に自分のストラトスを英国で売ってしまったことだ。3500 万リラだったから、およそ1 万7000ポンドだよ!」


彼が言うように、1984年には240万円程度であったストラトスであるが、その価値は上がり続けていて、現在では7000万円近くの価値がつけられている。この伝説のラリーカーにどんなに魅了されたとしても簡単に手に入るものではなくなってしまったのだ。



そして、生まれたのがレプリカ。20年以上少量生産車の製造に携わってきたMr. Craig Whiteが、2010年に満を持して設立した会社Lister Bell Automotiveが、それまでに存在していたストラトスレプリカのクオリティを遥かに凌ぐ車両「the STR」を送り出したのであった。同車は自動車業界から絶賛されたこともあり、現在は2年先までオーダーが入っているそうだ。生産体制を改め、台数を増やそうと計画している。そしてこの「the STR」を日本でも見ることができるようになった。独占輸入販売をおこなう権利を得た、UK CLASSIC FACTORYにて実物が入荷しているのだ。



また、80年代からコブラレプリカの製造に取り組み、市場での圧倒的な評価と信頼を得てきたAK SPORTSCARS社のコブラを愛する熟練した職人によって仕上げられるコブラレプリカ「AK 427」も扱っている。AK Sportscarsの創業者Mr. Ken Freemanが、80年代当時入手可能だったコブラレプリカのクオリティに満足できず自ら製造に着手、その後二代目であるMr. Jon Freemanが会社を引き継ぎ、サーキットにも足繫く通いながら、AK 427の性能と品質の向上に絶えず取り組んでいるとのこと。



UK CLASSIC FACTORYのガレージは180平米の広さを誇り、バーカウンターも併設されているため、ゲストはゆっくりと厳選された車を楽しむことができる。「the STR」の日本での販売時期・価格は未定であるが価格については、1200万円程度を考えているとのこと。世界中を探してみてもなかなか見つけることはできないストラトス。レプリカのほうが性能が優れているという場合も少なくない。一度、足を運んでみてそのレプリカのクオリティを目にして、楽しんでいただきたい。

UK CLASSIC FACTORY

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