カンガルーから車を守るための重装備 ?! │ロンドンからシドニーの1万1200km 大陸横断ラリー!

Porsche AG



もうひとつ、いかなるルートを通るにせよ、途中でボンベイ港(現在のムンバイ港)を経由するというルールがあった。そこでクルーズ船 “S.S. Chusan” 号が残った参加チームをピックアップし、オーストラリアの西海岸まで集団輸送することになっていたのである。オーストラリア上陸後は、それまでの辺境悪路ステージとは対照的に、大陸を横断するスプリント・ステージが用意された。

1968 年、ポルシェはスポーツプロトタイプ・モデルの 917 でサーキット・レースの頂点を目指す傍ら、市販モデルの開発と販促に直結するラリーにも将来性を見出していた。しかし当時の社長は慎重で、911 成功の可能性を前にしても、他の大手自動車メーカーとは異なり、闇雲に拡大路線に走ることはなかった。そのような状況下で、ロンドン~シドニー・ラリー専用に 3台の911S が製造された。そのうちの1台はポルシェのワークスマシンとして送り込まれ、1967年のヨーロッパ・ラリー選手権でポルシェを操りチャンピオンに輝いたソビエスラブ・ザサダ/マレック・ヴァショフスキー(ともにポーランド)組に託された。残る2台は、プライベートでスポンサー参戦するテリー・ハンター/ジョン・ダベンポート組とエドガー・ヘルマン/ハンス・シュラー組のもとへデリバリーされた。



この特別な 911Sに与えられた重装備は、飛び石やカンガルー(フロントの頑丈なプロテクトケージはそのため)といった危険な環境から車輌を保護するものであることは、一目瞭然だろう。911はこのロンドン~シドニー・ラリーに参戦する車輛の中で数少ないクーペであり、必然的にペアによるチーム編成となったが、その他の多くの参戦チームはメンバー構成に悩んでいた。2人か、3人か。ドライバーの睡眠時間や、砂を掘ったりクルマを押したりするケースを想定すると3人の方がベターではあるものの、3人編成にすると車輛は重量増となり、人間関係も複雑化する。結局、2人組と3人組のチームはほぼ同数となり、イギリスからは4人編成の女性チームも参戦することになった。


3台のポルシェの結果はいかに?次回へ続く

オクタン日本版編集部

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