「デザインの傑作」と称された一台│シャシー・ナンバー205-104の真相

Phoography:Dirk de Jager


 
ショーの展示に続き、広告とカタログ用の写真撮影がおこなわれ、その直後、205-104は大西洋を渡って、ニューヨークのウィリアム・ヴォーンに売却された。ウェールズ系アメリカ人のヴォーンは、1910年にオハイオのクリーヴランドに生まれ、1935年にニューヨークに移りブロードウェイで俳優になり、1940年代後半には中古車セールスマンに転身したという経歴であった。ヴォーンは、1949年に英国のシンガー社からアメリカにおける独占輸入権を得て、ブロードウェイ17412番地にヴォーン・モータース社を設立した。

事業は成功を収め、2500台を超えるシンガー・ロードスターが輸入されている。またヴォーンは、FRP製ボディの愛好家でもあり、エンスージアストにカスタムボディ製作の利点を説き、スポーツカーやレーシングカーに架装できるFRPボディ生産工場を設け、1940〜50年代にはその分野のパイオニアと目されていた。


 
そんなヴォーンは車を造ることが好きで、それには自分にちなんだ名前をつけていた。彼はマディソンスクエアガーデンで開催された、1954年のニューヨーク・ショーに展示したアバルト・ギアでさえも同様で、「ヴォーンSSワイルドキャット・ギア」と名付けた。そして、このニューモデルは、"いま見ることができる未来の最新車" であると説明していた。エンジン諸元にはOHC V8と表記されたが、ボンネット内は公開されず、写真資料さえも用意されず、彼の説明を裏付ける証拠は何もなかった。このため自動車専門誌の記事は混乱をきたした。

いくつかの雑誌はヴォーンの説明に従ってV8搭載としたうえで、V8ではありえない750cc 、1297cc 、1497ccという3種のエンジンがヴォーンSSに用意されると書き立てた。またヴォーン・モータースは同年のセブリングレースのプログラムに、V8エンジンのプロモーションならびに3種の異なる排気量エンジンについての広告を出稿した。


その後、忽然と姿を消した・・・最終編に続く。

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers )  Transcreation:Kosaku KOISHIHARA(Ursus Page Makers ) Words:Massimo Delbò Photography:Dirk de Jager

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