2台出場させて2台とも脱落・・・儚いヒストリーを持つビッザリーニ P538

RM Sotheby's

1950年代にアルファロメオでキャリアをスタートさせたジョット・ビッザリーニは、フェラーリでの仕事を通じてすぐに名を馳せ、250テスタロッサの開発をサポートし、250GTOの設計チームを率いた。

1962年、ビッザリーニは独立してイソとパートナーシップを組み、ジョルジェット・ジウジアーロと共にイソ・グリフォとリヴォルタの製作をサポートした。ビッザリーニは1963年に自分の名前を冠した車の製造を開始し、イソのAC/3をビッザリーニ5300ストラーダと5300コルサとしてさらに発展させた。ビッザリーニは、これらの車をイタリアのV12エンジンと合わせるのではなく、シボレーの327cu V8エンジンを利用することを選択した。



1966年のル・マン24時間レースで、ビッザリーニはP538と呼ばれるまったく新しいレーシングカーを出場させた。ジウジアーロが描いたゴージャスなスパイダーボディをまとい、シボレーの5.3リッター V8エンジンを搭載していた。車は有望な一台に見えたが、その年のル・マン24時間に出場した2台はフィニッシュできなかった。1台は3時間目でステアリングアームの故障によりレースから脱落し、2台目はわずか2時間のピットレーン違反により失格となったのであった。

その後の数年間で、ビッザリーニの財政は混乱に陥り、会社は1970年に破産を宣言する。P538については、排気量を3.0リットルに制限するFIA規則の変更により、ほとんどのヨーロッパ耐久レースに出場することはできなかった。しかし、P538はCan-Amなどいくつかのイベントでは対象車となり、会社が倒産した後にも少数の車が生産された。



そして、このP538は、1970年以降に製造された数台のうちの1台である。1970年にフランス人のジャック・ラヴォスト(フランスのイソ/ビッザリーニのオーナークラブのディレクター)から注文されたもの。この車は、より大きなエアインテークや、運転手と助手席のロールバーなど、他のP538とはいくつかの違いがみられる。 2001年にラヴォストがフランス語で書いた手紙には、彼の車の話が記録されており、9年間の製造期間を終え、1979年に完成したと記されている。

ラヴォストは、2001年4月までこのシャシーナンバー#B04を所有していた。2002年に新たなオーナーの元へ渡り、ASIから身分証明書が発行されている。2013年に、現在の所有者であるカリフォルニアを拠点とするコレクターによって購入された。一部カスタムが加えられているそうだが、エンジンはオリジナルを保っている。レースでは望み通りの活躍ができなかったが、その美しいデザインからコレクターには愛され大切にされてきている。

推定落札価格は47万5,000~52万5,000ユーロ(約6034万円~6696万円)となっている。

オクタン日本版編集部

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