現代にも続く系譜「ベイビー・ランボ」が息を吹き返した!

Photography:Max Serra/Lamborghini

この記事は『名前の由来は「小さいけれども凶暴な猛牛の血統」 !?』の続きです。

現在の所有者によると、「様々な特徴を見れば分かるように、まず間違いなく、ピーターの撮った車がこの1号車です。工場出荷時のオリジナルインテリアは赤だったことも分かっています。どうしてこの車が今、後からすぐに追加されたS仕様にも見えるインテリアなのか、いつ誰がなぜ変えてしまったのか、大きな謎でした」


「私たちの結論はこうです。1987年にセルジュ・ベルが出版したランボルギーニの本にベルトーネの写真が掲載されていたのですが、そこから類推するに、この1号車はサンタガータでの撮影ののち、すぐにベルトーネへと引き渡され、そこでS仕様インテリアの検討用に使われたようなのです。その写真を見ると、今のインテリアパターンと非常によく似ていることが分かります。それがそのまま残って現在に至ったと思われるのです」
 
1号車はさらにいくつかのテストをこなした後、10月20日にディーラーへとデリバリーされている。公式的には工場から出荷された"7番目" のウラッコとなっていた。デリバリー先はローマのディーラー"SEA"で、それが12月7日のこと。最初の登録名はミレッラ・ロミティで、これはおそらく真のオーナーが税務署対策として近親者の名前を借りたものだろう。その後、イタリアの各地に住まう11人のオーナーの手を経て、現在のオーナーが2008年に買った時には、モデナ近郊のカンポガリアーノにこの車はあった。
 
現オーナー曰く、「ずっと探していたのですよ、この車を。で、ついにネットで見つけたのですが、とんでもない値段で売りに出ていたのです。結局、オークションでは流れてしまい、オーナーも現実的な値段に引き下げてくれたので、買うことができました。この手のモデルにはよくあることですが、それはもう酷いコンディションでしたよ。ウラッコ・クラスのモデルを買うような人はそもそも、スーパーカーやヒストリックカーの知識など持ち合わせていない場合が多いのです。成功の証として、単なるステータスとして買ってしまった、とかね」

「結局、ミウラのようなモデルは、現代にたとえるとパガーニのようなものでしょう? 比べてウラッコは普通のスーパーカーだった。いく人ものオーナーの手を渡りながら、さしたるケアを受けることもなく、金も充分にかけてもらえず、乗りっぱなしになった挙句に、自ら価値をどんどん下げていったわけです。ウラッコが晴れてクラシックの仲間入りを果たし、価値が認められた時にはすでに、オリジナルコンディションの車はほとんど存在せず、あったとしてもすぐに市場からは消えてしまったのです。残ったのはレストアするにもコストの掛かりすぎる車ばかりでした」

編集翻訳:西川 淳 Transcreation:Jun NISHIKAWA Words:Massimo Delbò Photography:Max Serra/Lamborghini

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