「波乱万丈 奇想天外 抱腹絶倒」|世界的現代美術作家、杉本博司 初の自伝『影老日記』

photo by Masatomo Moriyama

現代美術作家として名高い杉本博司。最近では世界への日本文化発信として小田原文化財団 江之浦測候所を設立したことでも知られている。1948年に生を受けた杉本氏が、70余年の「傑作の人生」を美術作品とともにたどる自伝がこのたび刊行された。

自伝『影老日記』は2020年に日本経済新聞「私の履歴書」に連載されたものを大幅増補したもので、全36章から構成される。「記憶の始まり」から現代美術作家として世界的に注目されるまでの軌跡や現在進行中の最新プロジェクトまで、これまで語られることのなかったエピソードを豊富な図版とともに綴った初の自叙伝だ。

「世界のSUGIMOTO」の創作の源を余すところなく綴った注目の1冊、「波乱万丈」「奇想天外」「抱腹絶倒」と紹介されている自伝の中身を以下、目次と本文からお届けしよう。

<目次>
記憶の始まり/父 三遊亭歌幸/母/先祖の菅野白華/とんがり幼稚園/日光写真/立教中学/唯物史観/放浪の旅/現代美術への道/ジオラマ/ニューヨークの日本人/MoMA 作品購入/劇場/結婚/南画廊/古美術開眼/海景/イリアナ・ソナベント/佐賀町エキジビット・スペース/9・11/スタジオを自作/護王神社再建/苔のむすまで/新素材研究所/ワインとアート/パレ・ド・トーキョー/杉本文楽/料理人になる/能 巣鴨塚/江之浦測候所/ヴェルサイユ宮殿/パリ オペラ・ガルニエ公演/書家になる/空間感/私の人工衛星/あとがき

<本文の内容より>
1948年(0歳) 「父 三遊亭歌幸」
実家は美容器具などを扱う御徒町の問屋。若い頃に落語家を志した父は家業で成功し、三遊亭歌幸という芸名を持ちながら落語会のパトロン的存在に。杉本少年は父に連れられた寄席の楽屋で、いい匂いのする芸者さんに可愛がられる。

1976年(28歳)「ジオラマ」
立教大学を卒業し、ロサンゼルスのアートスクールで写真を学んだ杉本は、放浪の末にNYで写真家の助手となるが、ほどなく辞めてしまう。そんなある日、アメリカ自然史博物館で白熊の剥製に打たれる。これは生きているのではないか? 大がかりな撮影機材を持ち込み、あたかも許可を取っているフリをして、杉本はゲリラ撮影に成功。本物のようにリアルなジオラマ写真はMoMAの写真部長に気に入られ、お買い上げとなった。

1970年代半ば 「ニューヨークの日本人」
当時のニューヨークは日本人アーティストで溢れていた。篠原有司男、荒川修作、河原温、木下晋、三木富雄……。その中でも小野洋子(YOKO ONO)は別格だった。50年代終わりごろに頭角を現し、ジョン・レノンとの関係で世間の耳目を集め、当時はジョンに中国系米国人の彼女ができて別居していた。ある日、麻雀の面子として呼ばれた杉本は、香が焚かれ、密教風の祭壇のある小野の自宅ダコタハウスに招かれ、麻雀で一人勝ち。小野のサインが入った250ドルの小切手を貰ったという。

1988年(40歳)「佐賀町エキジビット・スペース」
「海景」シリーズがアメリカで高い評価を受けた杉本は小池一子の誘いで東京での初個展を開催。毎日芸術賞を受賞する。その頃の杉本は仏像の収集に熱を上げ、妙法院三十三間堂の千体仏に恋をした。だが撮影申請は門前払い。4年後、メトロポリタン美術館の館長名の手紙で懇願するも、にべもない返事。文化庁職員による推薦状を取り付けてなんとか許可が下りたが、おそるおそる聞いた撮影料は……?

2009年(61歳)「ワインとアート」
南仏のワイン園に現代美術を設置する仕事を通じて、杉本はオーナーのアイルランド人マッキレン氏と懇意になる。ある日仕事を終えた杉本が氏のプライベートジェットでロンドンに向かう途中、「友人の家で昼食をとろう」と飛行機はニースに寄り道。海に面した豪邸にはロックバンドU2のボノが立っていた。「海景」に魅せられ、新作ジャケットを撮って欲しいというボノに対し、杉本の返事はなんと「NO」。さてどうなる!!


影老日記
本体2900円+税
3月24日発売
ISBN 978-4-10-478104-1

オクタン日本版編集部

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