ブロワーとスピード 8が出会う|ル・マン100周年記念の幕開けをベントレーが祝福

Bentley

ル・マン24時間レースの第1回大会が開かれたのは1923年のこと。以来、1世紀にわたり、自動車の発展とともに様々なドラマが繰り広げられてきた。

会社誕生の年である1919年からレースに参戦しているベントレーにとって、ル・マンとの関係性は非常に深い。W.O.ベントレーは1923年の第1回大会に参加していたが、ジョン・ダフ大尉とフランク・クレメントが運転する1台のベントレー 3リッターもプライベートで参加していた。この車は20台中唯一の英国車だったが、4位入賞を果たし、約70mphのラップレコードを樹立する。このレースが、W.O.に変化をもたらした。レース前、彼は「こんなのは狂っている。誰も完走できないよ。車は24時間、あんな負荷に耐えられるようには設計されていないんだ」と語っていたという。しかし、自伝の中で彼は、「真夜中になる頃には、これが私が今まで見た中で最高のレースだと確信していた」と振り返った。

翌年、ベントレーは再び、今度はファクトリーサポートのマシンとして参戦し、優勝を果たす。その後もW.O.と彼のドライバーたちはル・マンで活躍を続け、1924年から1930年の間に5回もの優勝を果たしている。

近代においては、ベントレーは2001年から3年間のレースプログラムを開始し、EXPスピード8プロトタイプでル・マンに復帰。この車は、アンディ・ウォレス、ブッチ・ライツィンガー、エリック・ヴァン・デ・ポーレがドライブし、デビューイヤーに表彰台を獲得した。2003年、マシンは完全に再設計され、シンプルに「ベントレースピード 8」と名づけられた。 この年は2台のマシンがル・マンに参戦し、勝利を収める。ガイ・スミス、トム・クリステンセン、リナルド・カペロがドライブする#7は、ポールポジションからスタートし、2位でフィニッシュしたマーク・ブランデル、デヴィッド・ブラバム、ジョニー・ハーバートがドライブする#8 スピード8に2周の差をつけてレースを制した。



このようにル・マン24時間レースと縁の深いベントレーが今夏、その100周年を記念して、2003年のレースで優勝した#7スピード8のダイナミックなデモランをカリフォルニア州のウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカで実施した。ベントレーのモントレー・カー・ウィークのプログラムのオープニングを飾ったスピード 8は、2003年のセブリング12時間レースでファステストラップを記録し最終的に3位に入賞して以来、米国で初めて走行を披露したことになる。



スピード8がコースに出る前に、30台以上の現代のベントレーがロサンゼルスからラグナ・セカに到着。ベントレーの顧客とVIPゲストは、美しいアズールのコンバーチブルからベントレーの現行モデルの全車種まで、さまざまな車に乗って美しいパシフィックコーストハイウェイのルートを2日間にわたってゆったりと走破した。

ラグナ・セカに到着したベントレーの車たちによるパレード走行は圧巻だった。パレードの先頭を走ったのはベントレーマリナーのブロワーコンティニュエーションシリーズの最初の車であるブロワー・カーゼロで、ベントレーの会長兼CEOであるエイドリアン・ホールマークが運転した。そこにスピード 8が加わり、ベントレーモーターズとル・マン24時間レースの長年の関係を象徴する2台が再会を果たした。





スピード 8はその後、ベントレーのゲストや観衆が見守る中、レースペースでラグナ・セカを数周し、今でもそのパフォーマンスが健在であることを知らしめてくれたのである。

オクタン日本版編集部

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