最も美しいレーシングカー |マセラティ200SI マセラティ250S

Photography:Martyn Goddard



ジェントルマン・ドライバーに愛された
200Sのワークスドライバーにスターリング・モス、ピエロ・タルッフィ、ジャン・ベーラなどを起用してアピール。アマチュア向けというマーケット戦略もあたり、ジェントルマン・ドライバーたちが自ら購入し、その中には後にプロドライバーとなったヨアキム・ボニエがいた。マセラティはワークスカーとしての数回のイベントを走らせるとプライベートチームに売却するのを常としていたが、これは4気筒モデルも例外ではなかった。開発を継続するにはマイナスだが、会社は常に経済的に苦しく、成績が上がらずとも売らざるを得ない状況に陥っていた。200SIはミッレミリアとジーロ・デ・シシリアでクラス優勝を収めたほか、イタリアで開催されたヒルクライムはほぼ征していた。

アメリカ市場で好評だったことはマセラティの財政に大きく貢献した。完成すると半分が輸出され、主要な顧客は裕福なアマチュアドライバーたちで、中には著名人も少なくない。今回取材したヅヴァイフェルが所有する200SI(シャシーナンバー2427)は、1957年にニューヨーク近代美術館のキュレーターであったヴィンセント・アンドラスが購入し、ジョン・フィッチを乗せていた。フィッチはアメリカではトップクラスの国際級ドライバーのひとりで、米東海岸で開催されるSCCAレースのクラスEモディファイドでは一目を置かれる存在だった。

"2427"は、1960年にはジェントルマン・ドライバーのJJパコの所有となり、ラッキー・カスナーが所有するチーム・カモラディに貸し出されて、キューバGPではまだ駆け出しだった若きダン・ガーニーがドライブしている。その他に200SIを運転した著名ドライバーは、スカラブの創始者であるランス・リヴェントロー、シャパラルの共同創業者であったハプ・シャープ、そしてインディ・シリーズのスターであるボビーとグラム・レイホールの従兄弟にあたるエド・レイホールなどが挙げられる。

2台のマセラティ"フォー"
アメリカのレースシーンにさらに浸透していたのが200シリーズ中でもっとも希少な250Sである。1957年に排気量を2.5リッターに拡大する"キット"として登場し、これを組み込めば車重の顕著な増加なしで出力の向上が可能になった。200S/200SIの1994cc(92mm×75mm)から、ボア・ストロークを96×86mmに拡大して2490ccを得た。中速域でのトルク増強が顕著であったことから、アメリカのSCCAレースではクラスDモディファイドでは有力な存在となった。その後、2リッターと2.5リッターの200シリーズが数台ほど、150Sシャシーを用いた2.5Sとしても売られ、2500ccモデルの販売合計は10台弱となった。"2431"と"2432"の2台のみは、ファクトリーで 250S仕様として出荷され、2台とも1957年の大晦日にアメリカのキャロル・シェルビー・スポーツカー社へと販売され、"2431"はシェルビー自身が乗った。ちなみに前述した"2427"を中古でJJパコへ売ったのもシェルビーだった。その後、シェルビーのビジネスパートナーであるディック・ホールの弟のジム・ホール(後にチャパラルを立ち上げる)がいくつかのイベントに出場し、毎回クラス優勝を遂げていた。1958年半ばにオーナーとなったカンザ合計は10台弱となった。ス州の石油・ガソリン商のボビー・アイルワードも、1960年代初期までの間にレースで好結果を残している。

しかし、"2427"と"2431"に限らず、プライヴェティアの手に渡った多くのマシーンは時間の経過と共にヒストリーも曖昧になっている。この2台のうちでは"2427"の方が中盤の記録がしっかりと残っており、大規模なパーツ交換がなかったことが分かっている。パコが1960年に売却した後、著名なエンスージアストのアーチー・ミーンズ(マイティ・マウス)が1962年まで乗り、それ以降の16年間はほとんど乗られずにあり、さらに30年間は、現在は閉じているデゥーン・モーター・ミュージアム(スコットランド)に保管されていた。

2007年、 200SI"2427"は著名な英国人コレクターのアントン・ビルトンの手に渡り、GPSクラシック(ロマーニャ州パルマ県)によってフルレストアが施された。2008年にヅヴァイフェルが譲り受け、フェラーリ・ヒストリック・チャレンジやミッレミリア・ストリカ、そしてル・マン・クラシックなど定期的にレースで走らせていた。

一方"2431"は、ボビー・アイルワードが所有していた時代にシボレーV8エンジンが移植されてしまった。オリジナルパーツを保持したクルマは3割以下しかないという状況の中で、奇跡的にも"2431"は解体を免れ、別の2.5とともに1978年にロッソ・ビアンコ・コレクションの収蔵となった。"2431"のオリジナルエンジンは、オーストラリアにある150Sに搭載されていることが判明している。

ドットーレ・ヅヴァイフェルは閉館したロッソ・ビアンコ・コレクションから入手すると、2007年にレストアを施すためGPSへ持ち込み、作業中に前述のビルトンに"2427"を譲り渡した。二人ともオリジナルエンジンの入手に取り組んだが、果たせずに終わっている。2009年、"2431"はウルフ博士の友人であるフェラーリ役員のデリウス・アラビアンの手に渡り、彼はオリジナルエンジンの入手に成功した。


250Sは200Sの2.0リッターエンジンを2.5リッターに拡大している。外観もボンネットの中も美しい。アメリカのレースシーンにさらに浸透していたのが、200シリーズでも一番希少な250Sだった。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:数賀山 まり Translation: Mari SUGAYAMA Words:Dale Drinnon

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