輝かしい戦績を残した「メルセデス・ベンツ300SLガルウィング」の足跡

1952年ル・マンのスタートでマシンに駆け寄るドライバーたち。手前に写るカーナンバー20が総合2位、隣のカーナンバー21が優勝することは、誰も予想していなかった。(Archive photographs:Daimler AG)

300SLガルウィングは純粋なレーシングカーとして誕生したが、ロードゴーイングバージョンも素晴らしい戦績を残している。

メルセデス・ベンツ300SLのSLは、"Sports Leicht"(ドイツ語で"軽量スポーツ"の意)の頭文字だ。開発が始まったのは1951年のことで、1954年のグランプリレース復帰に向けた準備が整うまでの当座しのぎのレーシングカーとして誕生した。

コンペティションカーとして生まれる
エンジンその他のメカニカルコンポーネントは、発売間もない300サルーンからの流用だった。しかし、レース・実験部門を率いていたルドルフ・ウーレンハウトが、軽量かつ驚異的な強度を持つチューブラー・スペースフレームを新たに考案した。

フレームを覆うクーペボディは、Cd値わずか0.25といわれる空力性能を誇った。だが、ドアの存在を無視した形状だったため、最初の車にはルーフ中央のヒンジで左右に開閉する"ハッチ"が取り付けられた。乗り降りが難しく、ドアとしては異例の位置だったが、その寸法はレギュレーションに準拠していた。しかし、イタリアとフランスのレースオフィシャルが難色を示したため、フレームに手を加えてハッチの枠を少し下に延長し、カモメの翼(gull’s wing)に似た形状となった。ここから"ガルウィング"という通称が生まれた。

300SLの最初のレースは1952年のミッレミリアで、カール・クリンクがフェラーリに次ぐ2位でフィニッシュ、戦前の大エース、ルドルフ・カラツィオラが4位に入った。

続いて、ベルンで開催されたスイスグランプリの前座レースに参戦。このときだけはそれぞれ異なるカラーを添えた4台がエントリーし、トップ3を独占した。しかし、リアブレーキのロックによってカラツィオラは大クラッシュして負傷、ついにその長いレースキャリアを終えた。

次はル・マン24時間レースだったが、300SLはこの究極の耐久試験も見事な成績でパスした。ヘルマン・ランク/フリッツ・リース組が優勝、テオ・ヘルフリッヒ/ヘルムート・ニーダーマイヤー組が2位でフィニッシュしたのだ。

続くニュルブルクリンクで行われたスプリントレースには、4台が軽量なオープンボディで出走した。強敵がいなかったこともあり、300SLはここでも1-2フィニッシュを決めた。

再びクーペボディに戻すと、1952年の締め括りとしてメキシコへ飛び、ルートの距離が3370kmにもおよぶ苛酷なカレラ・パナメリカーナに出走。激しい戦いの末に見事勝利を収めた。優勝したのは、カール・クリンク/ハンス・クレンクのペアで、途中、220km/hで走行中にフロントガラスを突き破ってハゲワシが飛び込み、クレンクが失神するという事故もあった。2位もヘルマン・ランクの300SLだった。

こうして華々しくレースに復帰したメルセデスは、常勝300SLでのワークス参戦に幕を下ろし、グランプリカーの開発に力を注いだ。

ロードゴーイング仕様でもレースを席巻
コンペティションモデルをベースに誕生したロードゴーイングバージョンの300SLは、車重が増したものの、出力は増強されていた。1955年シーズンに登場するや否や、GTのカテゴリーでフェラーリやアルファロメオの対抗馬となる。メルセデスはワークス参戦こそしなかったが、多くのプライベートオーナーを気前よくサポートした。1955年のミッレミリアは、純コンペティションカーの300SLRを駆るスターリング・モス/デニス・ジェンキンソンが新記録のタイムで優勝したことに目を奪われがちだが、300SLで参戦したジョン・フィッチが総合5位、GTクラスで優勝しており、他にも総合7位と10位が300SLだった。

成功はさらに続く。リエージュ・ローマ・リエージュ・ラリーではベルギー人のオリヴィエ・ジャンドビアンが優勝し、オランダのチューリップ・ラリーでも300SLが勝利した。また、この年のヨーロッパ・ツーリングカー選手権はヴァーナー・エンゲルが300SLで制覇した。

1956年には、GTレースを舞台にさらに熱い戦いが繰り広げられた。まず、ウィリー・メレスのドライブで、2年連続でリエージュ・ローマ・リエージュ・ラリーを制すると、アクロポリス・ラリーとセストリエーレ・ラリーでも優勝。また、スターリング・モスがツール・ド・フランスで2位フィニッシュを果たした。

300SLは、最大の輸出市場だったアメリカでも活躍。ナショナル・スポーツカー選手権で1955、56年にプロダクションDクラスでポール・オシェイが、1957年はCクラスでハリー・カーターが王者になった。

最強を誇った300SLだが、ファクトリーによる開発がなかったため、徐々にライバルに水をあけられていった。しかし、その足跡は今も燦然と輝いている。


ル・マン優勝へとひた走るカーナンバー21。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Delwyn Mallett Archive photographs:Daimler AG

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事