朽ち果てたデ・トマソの工場で見る一人の男の切ない歴史

Photography: Roberto Brancolini



もう一人の人物は、ウォルター・ギドーニという人物。13年間、マセラティに務め、1994年にデ・トマソへ移る。2001年から2004年までゼネラルマネージャーを務めていた。グアラが製造されていた時期であり、経営困難を脱するべく彼は試行錯誤を重ねていた。ウォルターは特にデ・トマソと強い絆を築いていて、デ・トマソからは"figlio mio"(私の息子)と呼ばれていたほどだ。

「デ・トマソは新しい車を開発するため、自分のお金を注ぐことすらしていました。その資金があり、一年間に平均で30台~35台を製造することができましたが、会社が小さすぎてサプライヤーを得ることができなかったのです」

「モデナの工場は、働くのに素晴らしい場所でした。デ・トマソは従業員に対して番号を振り分けたりすることは決して無く、一人ずつ名前で呼んでいました。心臓発作を起こす前、ミラノで会っていたのですが、彼は2日間寝ていない状態でした。一緒にディナーをしている最中に発作を起こしたのです。その時、会社は全く利益を生んでいなかったために、彼がいなくなるとすれば、それは完全にデ・トマソが終わりを告げることになると確信しました。彼の妻は会社を続ける意志を持っていましたが、他の家族は反対していたのです」



「ハンドロの遺言に私の名前があることを彼の家族から伝えられた時は驚きました。さらに驚いたことは、家族に訴えられたということです。CEOであったDr.ベルティと私が会社に損を与えたという理由です。10年の裁判の末、私たちは何の罪も無かったと認められ、最後の給料と退職金をもらうことができました」

「今、この古びた建物を歩くと心が痛みます。他の同僚と同じように、会社を守るためベストを尽くしていた思い出たちが頭をよぎるのです。デ・トマソは私に働くことの喜びを教えてくれました。それは、人間にとって最も嬉しいことではないでしょうか」

いつか、この場所は取り壊されてデパートなどが建設されてしまうかもしれない。それは近いうちでないことを祈ろう。

Words: Maasimo Delbo  訳:オクタン日本版編集部

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