ヴォアテュレット インディ500<後編>|JACK Yamaguchi's AUTO SPEAK Vol.14

1928年ミラー"DF"前輪駆動。圧倒的な速さでフロントローを占めたが、オーバーヒートで後退。(IMS)



1929インディ500・"ヴォアテュレット"最後の年
1926年1.5リッター規則最初の年、ヨーロッパからヴォアテュレットが大挙押し寄せると思いきや、グリッド28台すべてアメリカ車で、その中18台がミラーであった。優勝から13位まで、5位のデューゼンバーグを除き、すべてミラーであった。ハリー・ミラーの野心作、"FD"前輪駆動車は2台ともリタイアした。

1927年には、デューゼンバーグがミラー軍団を抑え優勝した。ワークスとプライベートのミラーSCが2、3位、クーパーFD/ミラーSCが4位でフィニッシュした。グリッドの"ミラー率"は70%プラスで、ドライバーはオールアメリカンであった。

1928年は、8位に入ったデューゼンバーグを除いて、1位から14位をミラーが占め、FDが9位フィニッシュした。

1929年は1.5リッターフォーミュラの最後の年となる。久々に、フランス人とモナコ人が駆るフランス車2台がエントリーした。ドラージュは1926年1.5リッターフォーミュラで開催されたグランプリに5戦優勝し、ヨーロッパ・チャンピオンシップを得ていたが、経営悪化でレース活動を中止していた。15-S8のワークスカーを1台、インディ500に持ち込んだのがモナコ人ルイ・シロンだ。第二次大戦前後のレーシングドライバーで、F1モナコGP発起人のひとりであり、1960年代のモナコGPの名物スタート旗振りであった。現VWグループ傘下のブガッティは、最新モデルに"シロン"名を冠した。ドラージュ15-S8は、DOHC直列8気筒スーパーチャージド・エンジンを搭載。シロンは、スーパーチャージャーをエンジン前端の備え、排気を右側に移した後期型をインディに持ち込んだ。

他の1台は、メーカー、アミルカー社ワークスカーのMCOだ。"1500cc"クラスだが、実際は原型となった"1100cc"を拡大した1270ccだ。スポーツレーシングカーC6と同系DOHC直6スーパーチャージド・エンジンだが、ワークス・モノポストのMCOエンジンは、高圧過給に耐えるためシリンダヘッドとブロックを一体鋳造としたことが特徴である。アミルカーのワークスドライバー、ジュールス・モリショーとメニック1名が"新大陸"に渡来した。

スターティング・グリッド33台は、その後のインディ500の標準となった。ミラーとミラー・エンジン車は26台で、これには12台の"FD"前輪駆動が含まれていた。FDはグリッド最前列とセカンドローの5台を占める速さを示した。ところがポールポジションからスタートしたクリフ・ウッドバリー(194km/h)は、レース半ばでクラッシュ、総合順位33位なる記録を造った。

1位、2位、4位、5位が後輪駆動ミラー。3位、4位がデューゼンバーグ。9位、10位がミラーFDであった。

ルイ・シロン/ドラージュのグリッド5列目14位スタート、200周を完走し7位入賞は大健闘であった。ジュールス・モリショー/アミルカーは、グリッドではシロンの隣15位を占めた。彼は、ミラー直8の最高回転8000rpm、スーパーチャージャー回転4万rpmと巨大なインタークーラーが生み出すパワーで、直線最高速度250km/h超という"驚嘆の値"を記録している。残念ながら31周でステアリングの故障によって壁に接触。停車したところをレース規則によりオフィシャルが持ち上げ、壁の向こうに放り出したという。公式記録は『クラッシュ』だ!

1920年代後半、インディアナポリス・スピードウェイのオーナーとなった第一次世界大戦の撃墜王エディー・リッケンバッカーは、インディ500は、乗用車メーカーの参入に門戸を開くべきだと考え、1930年から自然吸気6.0リッター(ただし、2ストロークは過給可)フォーミュラの実施となる。


もう1台がアミルカーMCOワークスカーで、ワークスドライバー、ジュールス・モリショーが運転。グリッドは5列目、シロンと並んだが、レースではステアリング故障でリタイア(公式記録はクラッシュ)。(IMS)

文・写真:山口京一 Words&Photography:Jack YAMAGUCHI

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