もっとも鮮烈な印象を受けたヴォアチュレット「アミルカーC6」|JACK Yamaguchi's AUTO SPEAK Vol.9

スポーツレーシングカー、1927年アミルカーC6との最初の出会いは、2011年イギリスでレストア後、日本で仕上げ中、エンジン始動の場であった。(Photos:Jack YAMAGUCHI)

ヴォアテュレット、フランス語で『小型自動車』には、合縁奇縁を感じる。半世紀以上前、私はイギリスに着くや、とんでいったロンドン・レスタースクエア裏通りの自動車書籍専門店で一冊の中古本を買った。その本のタイトルや著者は思い出せないが、第一章が『勝つためにつくられたたった一回のため』だったことは覚えている。1939年、トリポリ・グランプリでの勝利のために、超短時間で製作されたメルセデス・ベンツW165が主題であった。

私が在英期に観戦したヴィンテージカー・レースで活躍していたのがE.R.A.だ。知己を得たBRM F1チーム主宰者のレイモンド・メイズは、E.R.A.創設者でレーシングドライバーでもあり、資料を提供してくれた。E.R.A.で活躍したのが、アジア人最初のGPドライバーであったシャム王国(現タイ)の"ビラ"王子ことビラボングセで、王子は私の旧友、アレックス・モールトンのケンブリッジ大学時代のレース仲間だった。大戦後のアメリカのヨーロッパ型レーシング黎明期に、神聖なるブガッティを改造しまくった異才エンジニア、ビル・ミリケンの冒険と交友した。これらは、次から順不同で紹介しようと思う。

私がもっとも鮮烈な印象を受けたヴォアチュレット・スポーツレーシングカーは、今から5年前に遭遇の幸運を得たフランスの"アミルカーC6"である。

C4シリーズからワークスカーCOへ飛躍
1920年代の欧米自動車普及に貢献したのが"サイクルカー"、2人乗り軽量低価車格車だ。フランスでは、普及政策によりエンジン排気量1100cc以下、最大重量350kgと定めた。

"アミルカー"なる名称は、投資設立者のジョセフ・ラミーとエミーユ・アカーのアルファベットの組み合わせなので、これは少々ロマンに欠ける。

1921年パリ・サロンでプロトタイプが展示され、翌22年に4気筒903ccエンジン搭載"CC"を発売した。アミルカー権威のフウルニエは、CCはサイクルカーの頭文字とするが、元シトロエン技術者であった設計者の憧れ説もある。アミルカー社は、当時の起業型メーカーとしては希少な、エンジンとシャシーを自製する一社であった。

1922年には、1004ccエンジン搭載の"C4"が発売された。車重が350kgを超えたので、"ヴォアテュレット"となった。アミルカーは、軽快、機敏なスポーティな素質を有し、それが人気につながった。C4からスポーツ"CS"、グランド・スポーツ"CGS"、そしてローボーイ"CGSS"が派生した。いずれも、CCをベースとして排気量をC4、CSは1004cc、CGSとCGSSが1075ccに拡大、出力向上した4気筒を搭載した。基本設計はサイドバルブであり、高回転型ではなかった。

アミルカーにとって市場とレースでの宿敵が、航空エンジンと航空機メーカーで、第一次世界大戦後に自動車に進出したサルムソンであった。1920年代前半、サルムソンはDOHC高回転型エンジンを投入し、ヴアテュレット・レーシングを席巻していた。

1924年、アミルカー経営陣は、主任設計者エドモン・モエにワークスレーシングカー"CO"の開発を命じた。6台の部品を準備し、ロングとショート・ホイールベースの2種を5台製作し、25年末にはヒルクライムに出場している。1929年まで、ワークスCOは、ヨーロッパのヴォアテュレット・レースを制覇し、なんと1929年インディ500にも出場した。地元米紙は、「たった1100cc(実際は1270cc)の最小の車…、8気筒車群中唯一の6気筒の"英国製"(誤解!)…、数回ウオールにクラッシュ…」と報じた。実際は、ステアリング・トラブルでウオール脇に停ると、撤去規則によりオフィシャルたちがオール越しに放り出した。これがクラッシュ、転覆と報じられた。

文、写真:山口京一 Words and Photos:Jack YAMAGUCHI

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