生誕100周年アレックス・モールトン博士│モールトン一族のお屋敷を訪問

Photography and Words:Tomonari SAKURAI


 
アレックス・モールトンは、第二次大戦中には18気筒のケンタウロス航空原動機の開発に携わり、英国軍研究開発部門で技術者として経験を積んでいった。戦後にはスペンサー・モールトン・ラバー社で研究開発を続け、アレック・イシゴニス卿とともにBMC ADO15(Mini)のラバーコーンを世に送り出した。元々ハイドロラステック・サスペンションをMiniに採用したいと考えていたが、実用化にはまだ不安があり、後のモーリス1100( ADO16 )への搭載まで待たなければならなかった。その甲サスペンションは成功を果たした。
 
経済車としてMiniが開発されたきっかけとなったのは、スエズ危機による石油不足であった。さらに石油危機は、アレックス・モールトン博士が燃料のいらない自転車を開発するきっかけともなった。1967年にはBMCからの依頼を受けて、大型車用サスペンションを研究し、モールトン・ダブルボギーバスを開発した。そのフレームには、現在のモールトン製自転車に採用されているトラスフレーム構造を垣間見ることができる。 

ハイドロラステックをさらに進化させて、ガスを使用したハイドラガス・サスペンションの開発に取り組み、MGFに採用されたが、英国製車の衰退もあり、車両用のサスペンション開発はここで終了してしまう。それとは逆に、モールトンの自転車は各地で記録を塗り替え人気を博していった。ところが、1960 年代になって逆風に見舞われた。



当時、英国で最大の自転車製造会社であったラーレー社
にライセンスを譲ったことが原因であった。ラーレーが粗悪なモールトンを製造したことで、そのブランドイメージは悪くなってしまったのだった。それを転機として、城内で手作業によって製作することで品質を保つことになった。それがこの"お城製" というブランド力になっていく。
 
アレックス・モールトン博士は、その人生の中で小型ボート用エンジンの開発や、電車のショックアブソーバーの開発も手掛け、陸海空の乗り物すべてに携わってきた。その英国車のひとつの歴史をずっと見守ってきた"The Hall"。ここが過去の歴史だけにとどまらず、未来に向かって新しい物が放たれることを楽しみにしたい。

写真・文:櫻井朋成 Photography and Words:Tomonari SAKURAI

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