ゴールドに輝くアルミニウムボディの個性派ロータス 26R 前編

Photography:Paul Harmer


 
ウォーカーは元英国空軍の軍人で第二次大戦中はランカスター戦闘機の後部に乗って銃手の役に就いていたが、戦後はイギリス自動車界にどっぷりと浸かった男だ。彼は熱心なエンジニアであり発明家であり事業家でもあった。アイデア豊かな彼を物語る好例が、当時どの旅行代理店でも窓辺にBOACのエアクラフトの模型が飾られていたのだが、これは客にジェット機での海外旅行を思い描いてもらうというウォーカーのアイデアで、彼が作った会社のひとつが模型を製作していた。

模型といえば、メリット・キッツ社が販売したプラステック・モデルのロータス・イレブンもウォーカーが仕掛けたものだし、チャプマンにタバコ・メーカーからスポンサーシップを受けるよう仕向けたのもウォーカーである。このナイスなアイデアは最初は実を結ばなかったものの、ロータスがゴールドリーフと手を結ぶずっと前から彼はジョン・プレーヤー・スペシャルと交渉していたのだ。
 
彼はまた、軽飛行機をタクシングする会社も興していて、スタンリー・キューブリックの映画やイギリスの長寿SFテレビドラマ"ドクター・フー"に協力したこともある。さらには、スケーレックストリック(註:イギリスの有名なスロットカーブランド)が店に並べるずっと前からスロット・レーシングの原型というべき遊びを具体化していた。しかし彼が何より愛したのはモータースポーツである。最初に取りかかったラリーでは、やがてフォードを競争力のある車に仕上げるスペシャリストとして実績を積んだ。この世界ではグレアム・ヒルやコーリン・チャプマンのような重要な存在だったのだ。なぜヒルの名前を挙げたかといえば、結果はともかく、1台のフォード・ファルコンでともに戦った仲なのである。もちろん彼はロータスの顧客であり、1950年代にはセブンやイレブンを所有したこともある。
 
ウォーカーはドライバーとしては著名ではないかもしれないが、尊敬に値する人間だった。だがそちらには早々に見切りを付け、チーム・マネジャーとして力量を発揮することになる。ロータスとフォードには熱心にサポートし、ロータスの登録ドライバーには助言を与えたりもした。やがてイアン・ウォーカー・レーシングを設立してヨーロッパ中のレースに関わるようになる。特製のトランスポーターを使い始めたのも彼が最初である。また、ジム・クラークやグレアム・ヒル、フランク・ガードナーのような有名ドライバーだけでなく、遅咲きのトニー・ヘグボーン、ダグ・レヴソン、マイク・スペンスといった将来有望なドライバーともいい関係を築いた。
 
そのトニー・ヘグボーンが1965 年のスパ500kmで事故死したことは、彼にレースにおける安全性への追求に目を向けさせるきっかけとなった。しかし、彼のモータースポーツへの情熱は失われることなく、またその情熱は息子のショーンにも受け継がれていった。ショーン・ウォーカーは現在、ヒストリックカー・レースのドライバーとして名を馳せている。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:James Elliott 

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