廃品置き場で発見されたボロボロのポルシェが歩んできた重要な歴史とは?

Porsche AG


その1週間後には、ニュルブルクリンク 1000km レースに出場する。この時は、車輌へのカメラの設置が ADFC(ドイツ自動車連盟)により安全面の問題で禁止されていた。29番目からスタートし、GTクラスでは4位入賞にもなる13位まで順位をあげる。タルガ・フローリオよりは、簡単なコースだと思っていたが"グリーン・ヘル"は全くそんなことはなかったのだ。「レースの前に食べたソーセージとの相性が良くなかったのか気分が悪く、さらに追い打ちをかけるようにコースのダウンアップも激しかったので大変でした。しかし、バルトにステアリングを預けてみると安定してすっかり良くなりました」

ル・マンでは車輌へのカメラ搭載が許可され、ポルシェはカメラカーとしての役割を復活させた。リアのスティール・フレームに固定されたボレックス 16mmカメラのおかげで、夜の幻想的な映像を記録することが実現できた。

「車内と車外、どちらのカメラもドライブしながらボタン一つで操作できました」と、カイザーは話す。ル・マンでは、ピット前で接触事故を起こすというアクシデントがあったものの、 総合13位、排気量3リッター以下のGTクラスでは見事トップでフィニッシュを果たす。


カイザーとバルトは、ル・マンでの撮影を最後に別々の道を歩む。その2年後、『The Speed Merchants』が完成した。計70時間にも渡る映像を、95分に凝縮させたのであった。マリオ・アンドレッティ、ヴィック・エルフォード、ヘルムート・マルコ、ブライアン・レッドマン、そしてジャッキー・イクスといったスタードライバーたちのレース人生を描写したこの映画は、当時のシーンを伝える貴重なドキュメントフィルムとして高い評価を得ている。

カイザーは1972年末にポルシェ 911ST 2.5をドン・リンドレーに売却し、新しいRSモデルを購入した。2.5 ST を受け継いだリンドレーは北米のIMSAレースに出場し、1975年5月のリバーサイドを最後にサーキット人生にピリオドを打つ。それから2度のオーナー交代を経て、イエローカラーの911は2008年まで姿をくらましていた。

ポルシェクラブ・バーゼルの代表、マルコ・マリネロがサンフランシスコのバーンファインドを耳にして、911ST 2.5がそこに眠っているのではないかという推論を立てた。そして2013年、その話に興味を抱いたスイス人と共にマリネロがカリフォルニアに渡ってみると、確かに 911ST 2.5は存在していた。しかし、911STであることは確かなのだが、かろうじて原型が分かる程度のひどいコンディションであった。この時はまだ、カイザーの車であることは不確かであったのだが、一年かけてマリネロが念入りな調査を行い、その911はオリジナルの “カイザー” 2.5ST であることを証明した。

新しいスイス人オーナーは、すぐさまフライベルク・アム・ネッカーのポルシェ・クラシックにレストアを依頼した。ポルシェ・クラシックのエキスパートたちは、様々なアクシデントを重ねてきたのであろう車のへこんだルーフやボディを修復するところからはじめた。それから2 年半をかけ、1000時間を超えるハンドワークによって完璧なシェイプを取り戻し、コード117のオリジナルカラーで塗装された。



ブライトイエローで疾走する、911STへと蘇ったのである。

Words: Porsche newsroom 訳:オクタン日本版編集部

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