自動車デザインを変えた男 パトリック・ルケモン 後編

Archive photography: Ford, Renault, P. le Quément


 
彼の輝かしいキャリアのなかでとりわけ光るのは、1981年のカーゴ・トラックかもしれない。ルケモンにとって最初の赴任地だったイギリスのダントンでデザインされた。カーゴの特徴は低いサイドウィンドーで、ドライバーの視界確保に貢献した。1980年代のボーイズ・レーサーのお気に入りとなったが、ルケモン自身、「高い空力特性を備えたキャブ後方のスポイラーとカッコいいインテリア。実にモダンなデザイン」を自認する。ファブリック・シートが人気を呼んで、これはエスコートXR3iにも採用された。
 
シエラのベースとなったプローブⅢも彼のプロデュースによるものだ。1981年に発表されたこのコンセプトカーのスタイリングには"革命的" といういい方がぴったりくる。ずば抜けた流線形だ。シエラの先代モデルであるコルティナは、ボクシーでオーソドックスなスタイリングだったが、これとは正反対のカタチで、これはRSコスワースにも受け継がれた(そう、アイコンとなった、かのエスコートRSコスワースだ)。
 
それにしても、あの大げさなスポイラーは本当に必要だったのか? スペック上、有効であったことは間違いない。しかし他のメーカーだったらもっと"抑えた" はずだ。こういうとルケモンが苦笑した。「私はあの頃、めちゃくちゃ楽しんでたんですよ。あの時代の我々は攻めまくり⋯。デザイナーと技術者が一丸となって作業したものです」
 
代わってフォード時代最終期にあたる、1985年に発表されたスコーピオ・サルーンの話になるとトーンダウンする。商品企画に問題があったと振るのだ。「あの車がどれほどクレイジーだったか覚えていますか?居住空間を広げるためにワイドにしたボディに、13インチホイールを履いていたんですよ。あれは明らかに間違い。ルノーに移る前のことですが、私は尋ねたんです、『スタイリングの役割って何なのだ』と。これに対してエンジニアリングのボスはこう答えたものです。『醜いものでも見られるように仕立てる。ドレスアップ。それがスタイリング担当者の仕事だ』。あの頃はこういう考え方が一般的だったんです」


 
1985年にフォードを辞したルケモンは、それからの2年をVWアウディで過ごした。肩書きはアドヴァンスド・コーポレイト・デザイン・ストラテジー部門ディレクター。デュッセルドルフにデザインセンターを立ち上げた。ここはVWグループにとって初のデザイン部門の本拠地と予定されたが(当時グループが所有したブランドはVW、アウディ、セアト)、ルケモンと彼の家族がこの地を終の住処と感じることはなかった。「あの頃は世の終わりみたいな気持ちだった。特に妻はあそこでの暮らしに馴染むことができなかったんです」 続いてBMWに移ったが、ミュンヘンもまた定住の地にはなりそうもなかった。そんな時、一家の扉をノックしたのが、販売不振に苦しむルノーだった。

「私はこう交渉したんですよ。もし自分を迎え入れたいなら名前を変えてくれ、と。スタイリング部門という呼び方はしないでほしい。車体設計の希望に応える部署ではなく、商品企画やエンジニアリングと同等の重みを持たせたい。あなたの会社の突破口になるはずです」と。
 
1987年、ルケモンはコーポレート・デザイン担当副社長の肩書でルノー入りを果たす。95年には取締役に就任、この年から99年まではコーポレート・デザイン担当上級副社長のみならずクオリティ・チェックの責任者もつとめた。99年のルノーと日産のアライアンスの際に中村史郎を日産のデザイン部長に推したのもルケモンである。
 
後に同社取締役社長となるルイ・シュバイツァーの肩入れがあったことは間違いない。しかしそれだけで彼の社内ポジションがこれほど強まることはあり得ない。要はルケモンが新しい自動車を生み出し、それが賞賛をもってマーケットに受け入れられた。この実績こそ、彼の力を強めたのだ。


 
エスパスは新しいジャンル、定義を生み出したモデルだ。フレキシブルに変更可能なシート配置、高い位置に設定されたドライビング・ポジションを持つ多目的車だ。発売されたのはルケモンがルノー入りする前のことだったが、このエスパスを彼はセニックというMVPに上手く繋ぎヒットを飛ばした。一時期、1日あたり1900台あまり生産されたセニックは、1997年にはヨーロピアン・カー・オブ・ザ・イヤーに輝き、90年代後半には2匹目のドジョウ狙いがぞくぞくと登場したのだった。
 
セニック以前に彼は"中は広く、外は小さい" トゥインゴを生み出している。フレンチ・テイストを満載したトゥインゴはよく知られている通りヒット作、カルト的存在になったモデルであり、他メーカーに大きな影響を与えた。一方、1994年のパリ・サロンで発表されたコンセプトカー、ルノー・アルゴスを見て、5年後にデビューしたアウディTTを想わない人はいないだろう。

編集翻訳:由比夏子 Transcreation: Natsuko Yu Words: Guy Bird 

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