自動車デザインを変えた男 パトリック・ルケモン 後編

Archive photography: Ford, Renault, P. le Quément


 
ルケモン自身は、アルゴスともう1台、90年に発表されたラグナ・ロードスターの大ファンである。後者は96年に生み出された小型オープンカー、スパイダーのベースとなったコンセプトカーで、アルゴスとともにアルピーヌ・ブランド復活をプロモートした。アルピーヌが実際にリバイバルしたのはこの時からずっと後のことではあるけれど⋯。
 
1995年に製作されたイニシアルもどうやらお気に入りらしい。彼の自宅リビングにこのコンセプトカーの1/5スケール・モデルが飾ってあった。イニシアルは2002年にサフランの後継車、ヴェルサティスとなったが、独特の内装は生かされたものの、全体的にはイニシアルが持っていた魅力を失った。ルケモンはこの点を消化しきれていないようで、商品企画セクションに懐疑的だ。「彼らのプランはスペースを最大限に生かすことでした。こういう考え方では『スタイリング製作の役割はドレスアップ』だった時代に戻ってしまいます」


 
2001年のパリ・サロンでデビューしたアヴァンタイムは、風変わりなダブルヒンジを採用したドアも特徴的だった。生産期間わずか2年という短命に終わったMVPクーペは今に至るまで熱狂的なファンを持つが、産みの親であるルケモンも擁護者のひとりだ。

「とても面白いコンセプトだったと思います。しかし市場投入のタイミングが1年遅れて、エスパスのニューモデルに搭載された最新エンジンをアヴァンタイムはデビュー時に積んでいなかったんです。これが痛かった」

ルノーの提携先であるマトラの工場で生産されたことによって品質に問題を抱えたこともあるだろう。あの大きな特徴的なドアはしばしば開閉トラブルに見舞われた。
 
ルケモンがリベンジを果たしたのは2001年のフランクフルト・モーターショーで発表されたタリスマンではなかろうか。このコンセプトモデルには電動油圧アクチュエーターで作動する巨大なガルウィングドアが採用された。内装に使われた素材は手触りが心地よく、そこに埋め込まれた操作系も見応えのあるものだ。現在は多くのメーカーがこの路線を採用している。

「シンプルを求めた結果、ここに行き着いた」とルケモンはいう。「今日のインテリアはガジェットで埋まっています。車内に入ったとたんこんな風に尋ねたくなるのではないでしょうか。『僕の居場所はまだ、ある?』」最終的にルノー社内でのルケモンの影響力があまりに大きくなったことによって彼は同社を離れた。皮肉なできごとである。

「私がルイ・シュワイツェールと特別に親しかったことが社内で攻撃材料になった。ルイの保護下で権力を持ち過ぎていると思われたんです。ルイ自身、これに気づいていましたから、彼は何度か、周りに配慮して私の意見とは反対のジャッジを下しました。とても残念なことだった」
 
現在、デザイン副社長を務めるローレンス・ファン・デン・アッカーを自身の後継者に指名したのち、ルケモンはルノーを離れたのは2009年だ。いまは自身のデザイン・コンサルタント会社を興し、さまざまなものをデザインする。中心となるのはヨットである。



ガルシアやラグーンはじめ、彼の手がけた数々のヨットは多くの賞に輝いた。2013年にはサステイナブル・デザイン・スクールを共同で開校。98年にはフランスで最も栄誉のあるレジオンドヌール勲章、2015年にはアメリカのデザイン賞も授与されている。一方、今年の秋には彼のバイオグラフィーが刊行される予定だ。コンサルタント業務も忙しく、日々飛び回る彼は、現役のトップランナーである。

 
これだけのキャリアを築くことができた、その秘密について、才能はもちろんだが「どんな時にも自分を信頼すること」、彼はこう述べている。果たしてそれだけだろうか。最後に自らの成功をどう分析しているのか、ルケモンに語ってもらいこのインタビューを終えることにしよう。
 
「私は好奇心が強いんですよ。デザイナーにとっては色々なことに興味を持つことはもっとも大切なことだと思います。私は決して器用な人間ではないんです。暗闇でエンジンをアセンブリーできる手は持っていない。でもね、私は物事がどんなふうに進んで行くのか、それを知ることが好きなんです」

編集翻訳:由比夏子 Transcreation: Natsuko Yu Words: Guy Bird 

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